【感想】「海岸通り」(著:坂崎かおる)
概要
2024年上半期(第171回)芥川賞候補作、「いなくなくならなくならないで」、「サンショウウオの四十九日」に次いで三作目を読了しました。奇しくも三作品とも、二人の女性を軸にした物語。そういう観点で各作品を対比してみるのも面白そう。
感想
いろんな対比が技巧的
出版社HPのあらすじにあるとおり、「正しいこと」と「まちがっていること」、「本物」と「ニセモノ」のような対比構造が所々にちりばめられています(サトウさんのニセモノの娘を演じる主人公・久住と本物の「娘さん」とか、外面が良いけど仕事をさぼっていた神崎さんと、仕事はまじめだけど備品を盗んでいたマリアさんとか、雲母園と「コミュニティ」とか。)。これが上手くはまっていたら気持ちよくなりそうなのですが、ちょっと私にとってはやりすぎというか、この対比構造を作り出すための仕掛けとして話が進んでいる印象があり、技巧的ではあるものの、なかなか話に集中できない部分がありました。
主人公久住とマリアさんの掛け合い
主人公・久住が働いている老人ホーム雲母園に、ウガンダ出身のマリアさんがやってくるところから話が始まって、紆余曲折ありながらも、ラストは久住さんがマリアさんと対等の立場(というか作中の言葉でいうと「ファミリー」?)になって、マリアさん的雰囲気をまとうというシーンだと理解しています(徒歩で「コミュニティ」に向かうとき、マリアさんの臭いを「古い記憶に基づくもの」と表現し、ラストはバスの中で久住の近くにいる少年が「変なにおいがする」と言いつつ、「知ってるにおい」、「これに、会ったことがある」と言っている。)。
たぶん、マリアさんの罪が暴かれることで、自分にかけられた備品横領の嫌疑が晴れた(でも、自分もやっていた?)ことがきっかけで、自分の周りの日本人はマリアさんを理解していない(自分はマリアさんを理解している)となり、久住の心はマリアさん側により寄っていったということなのだと思うのですが、(自分の感想として、)久住が最後の方まで、マリアさんとその友人のアフリカ系の人々と真剣に/対等に向き合おうとしていないところが気になるというか、結局なんでマリアさんにそこまで肩入れするようになったのか、あまり表現されていないのではないかなと思いました。
結構最後の方まで、マリアさんやその友人との掛け合いは、無意識的に相手を見下していたり、相手側のはからいをかなり無下にしているんですよね(「コミュニティ」のクランを作るにあたって、トーテムを適当に決めていたり。とはいえ、「海」は悪くはないので、無意識的には「コミュニティ」に心を開いていると読めなくもないが。)。内面はともかく、言動が結構配慮を欠いているように読め、あまり乗れませんでした。
それは、久住が割と全編とおして何に対しても露悪的な態度なのも同様で、露悪的な人物自体は全然嫌いじゃないのですが(「ハンチバック」の釈華とか、「コンビニ人間」の白羽とかは、共感するかはともかく人物像は愛せる。)、本作の主人公久住は自分の趣味とはちょっと合わなかったかなという印象です。
これまで三作読みましたが、正直言ってどれもあまりピンと来ていません。「バリ山行」も気になるので、群像が手に入ったら読んでみたいと思います。
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