記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【感想】「水たまりで息をする」(著:高瀬隼子)

概要

 最近お気に入りの高瀬隼子さん作品。本作は単行本購入後しばらく積んでいたところ、文庫版が出てしまったので、これを機に読了。
 本作は、突然夫が風呂に入らなくなり、体臭がきつくなった結果、これまでの生活が続けられなくなっていく話。

 ちなみに、5/19の文学フリマ東京を訪れたところ、(お話はできなかったけど、)京都ジャンクションのブースで高瀬隼子さんご本人をお見掛けすることができました。

ある⽇、夫が⾵呂に⼊らなくなったことに気づいた⾐津実(いつみ)。夫は⽔が臭くて体につくと痒くなると⾔い、⼊浴を拒み続ける。彼⼥はペットボトルの⽔で体をすすぐように命じるが、そのうち夫は⾬が降ると外に出て濡れて帰ってくるように。そんなとき、夫の体臭が職場で話題になっていると義⺟から聞かされ、「夫婦の問題」だと責められる。夫は退職し、これを機に⼆⼈は、夫がこのところ川を求めて⾜繁く通っていた彼⼥の郷⾥に移住する。そして川で⽔浴びをするのが夫の⽇課となった。豪⾬の⽇、河川増⽔の警報を聞いた⾐津実は、夫の姿を探すが――。

出版社HPより引用

感想

愛するとは?

 自分が本作を読んで考えたのは、「愛するとはどういうことか」ということです。なお、高瀬隼子さんデビュー作「犬のかたちをしているもの」も同様のテーマかなと思いました。
 本作は、ある日突然夫が風呂に入らなくなって、体臭がきつくなり、明らかに周りの人から見て異質の存在となった結果、仕事をはじめとする社会生活が上手くいかなくなるというのが前半のお話です。ここで、妻であり主人公の⾐津実は、最初こそ夫に風呂に入ること、体を清潔に保つことを促すものの、それほどの強硬策をとるわけでもなく、ある程度、夫本人の意志にゆだねています。
 これに対して、義母はこれは「夫婦の問題」であり、精神を病んでいると思われる夫を病院に連れて行かないのは、「研志(夫)のことが大切じゃない」からで、「研志もおかしいけど、あなたもおかしい」と責め立てます(単行本P.73)。
 とはいえ、⾐津実は完全にあきらめている訳ではなく、むしろ夫の意志を尊重して風呂に入らないことを許容しつつも、夫が川で水浴びをするために片道5時間かかる地元まで付き添ったり、風呂に入らなくなった夫との生活を模索しようとしています。
 読み手である自分としては、⾐津実の気持ちも義母の気持ちも理解できて、どちらも研志を愛していて大切にしているからこその言動であるわけなんですよね。必ずしもどちらか一方が正しいとは思わないけど、だからこそ、愛するとはどういうことなのかということを考える作品だと感じました。

夫と台風ちゃん

 作中、⾐津実の子供時代の回想があり、近くの川から持ってきた魚を「台風ちゃん」と名付けて、家で飼う話があります。この台風ちゃんは、家の中で特別大事にされるというわけでもなく、⾐津実が上京するタイミングで、河口付近の、⾐津実によって台風ちゃんが生きていけるか微妙な場所に返されます。この返す時、母から川に戻してこいと言われ、⾐津実は、「捨てていいの?」(単行本P.122)と、いい意味で驚きます。
 夫の研志は作中後半、大雨で川が増水するなか姿を消しますが、その様子は、大雨の中いなくなった台風ちゃんとイメージが重なります。台風ちゃんを川に戻す時、⾐津実は「やっと捨てられる」という感情を抱いたのだと思いますが、夫についてはどうなのか、作中でははっきり描かれていないのが、読み手によって読み方に幅が出るポイントだし、作品としても面白い描写だと思いました。

タイトルの意味は?

 タイトル「水たまりで息をする」とは、誰目線のことを言っているのか必ずしも明らかでなく、いろんな解釈が可能かなと思います。自分としては、夫・研志を見捨てることができず、かといって風呂に入ったり病院に行くことを強制できなかった⾐津実が、夫と一緒に職を辞めて田舎に越していく様子がこのタイトルなのかなと想像しました。⾐津実にとって、地元は悪い意味で田舎らしさがあり、東京と比べて人間関係は悪環境にあり(水の綺麗さと対比的です)ます。
 ⾐津実と夫は、東京での生活や義母からの抑圧に流されるように、ある意味で人間関係のわずらわしさのどん詰まりのような象徴である地元(=水たまり)に流されていきます。読後感的には、タイトルから、その田舎で水面に向かってパクパク口を開けて息をしている様子を自分はイメージしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?