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【感想】「いなくなくならなくならないで」(著:向坂くじら)

概要

 先日、2024年上半期(第171回)の芥川賞候補作が発表され、その中で本作のタイトルが一番気になりました。掲載されている文藝夏季号がまだ入手できたので、早速購入し読みました。
 本作の著者 向坂くじらさんの作品は、私は本作が初めて触れたのですが、向坂さんは詩人として活躍されている方とのことで、文章のリズムや言葉の使い方が特に面白いと感じました。
 他の候補作である「サンショウウオの四十九日」が掲載されている新潮五月号、「海岸通り」が掲載されている文學界二月号も入手できたので、芥川賞発表前までに読みたいと思います。「バリ山行」もどんな話なのか気になりますね。

死んだはずの親友・朝日からかかってきた一本の電話。時子はずっと会いたかった彼女からの連絡に喜ぶが、「住所ない」と話す朝日が家に住み着き――。デビュー作にして第171回芥川賞候補作。

出版社HPより引用

感想

タイトルが好き(否定が繰り返されることで、単語に時間的意味が生じている?)

 本作は、主人公・時子のもとに死んだはずの親友の朝日から電話がかかってきて、五年ぶりに再会するところから話が始まります。物語の序盤、時子は久しぶりの再会を喜ぶものの、自宅に住み着いてなかなか出ていかない朝日に対して徐々に苛立ちはじめ、朝日に出て行ってほしいと思うようになります。その後も時子の心情は二転三転しながら、「朝日にそばにいてほしい」と「朝日にどこかに行ってほしい」を往来しながら、物語のクライマックスに差し掛かっていくというのが、本作の構成です。

 そんな本作ですが、自分にとっては、やはりまずタイトルが気になりました。「いなくなくならなくならないで」って、否定が繰り返されていて、パッと見ただけでは、いなくなってほしいのか、いなくならないでほしいのか、どっちなのか容易にわかりません。個人的には、たぶんこれが本作で一番やりたかった仕掛けなのではないかと思っていて、要は、物語の中の時子の心情は、ストーリーが進むにつれて、朝日にいなくなってほしいのか、いなくならないでほしいのか、たぶん本人もよくわからなくなっているんですよね。まさに、タイトルをパッと見た時と同じで、どっちなのか容易にわからない(し、どちらかに決めきれない)微妙な心情を、この否定を繰り返すことで表現したかったのではないかと思いました。

 また、「いなくなくならなくならないで」って結局どっちの意味なの?と思い、自分は、
「いなくならないで」(「いなくなる」+否定1回=いてほしい)
⇒「いなくなくならないで」(否定2回=いてほしくない)
⇒「いなくなくならなくならないで」(否定3回=いてほしい)
と、基本形「いなくなる」に一回ずつ否定を足して、どちらの意味かを理解しようとしました。
 (これは完全に考えすぎかもですが、)物語序盤の朝日は自殺したと思われていて、「いなくなっている」状態が基本形だったところ、突然時子の目の前に現れ、紆余曲折を経ながら、時子は朝日にそばにいてほしかったり、いなくなってほしくなったりするわけで、タイトルを分解して考えていく工程が、まさに時子の心情をトレースする作業だったのですよね。
 そういう意味で、「いなくなくならなくならないで」って(否定語がたくさんついた)一つの単語なのに、時系列的感覚が醸し出されるすごいタイトルだと感じました。そしてそれは、単に単語だけ提示されるのでは不十分で、ストーリーと一緒に提示されるからこそ、その意味が拡張して時間的にも広がっていったように感じて、(ストーリーの内容そっちのけで、)まずはタイトルが本当にすごい作品だと感じました。

朝日をどう解釈するか

 他方で、ストーリーの方は、視点人物の時子の心情については割と説明的であるものの、もう一人の主人公・朝日が結局何者なのかはよく分からないのですよね。
 逆に言うと、朝日の存在・人格は割と幅を持った解釈が可能で、それをどう捉えるかで、この物語の感じ方も異なるのかなと思いました。
 例えば、朝日はどこにも自分の居場所がないと感じていて、時子や時子の家族に自身の存在を認めてもらいたくて執着しているともとれるし(文藝夏季号P.90下段~P.91上段の朝日の言葉からその点がうかがえる)、人の懐に入り込んでその人をコントロールする人たらしにも見ることができるし、(ほぼ陰謀論だけど、)実は朝日は死んでいて幽霊かもしれない(朝日が現れたら時子が感じていたファントムバイブレーションがなくなった言及があり、ファントム=幽霊のメタファー?)。
 再読したら捉え方が変わりそうなので、時間を空けてまた読んでみたいと思います。ほかの人に読んでもらって、ぜひ感想を聞きたい作品です。

#いなくなくならなくならないで

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