毛筆5段・硬筆3段、ナナです
皆さま、お疲れ様です。
皆さんの過去のブログを読んでいたらすっかり書くのが遅くなってしまいました。
RFCきってのレフティーアタッカー・シゲさんからバトンを受けとりました、新加入のナナこと七戸(しちのへ)拓郎と申します。
文才もなく、特筆すべき経歴もない自分が何を書こうかなと考えていましたが、まだほとんど僕のことを知らない人ばかりだと思いますので、少しでも自分を知って頂くために軽く特技とサッカー史を書いていこうと思います。面白みの無い文章が予想されるため、お酒でも飲みながら気持ち半分に読んでください。笑
まずは特技ですが、題名にも書いた通り、文字を書くことが得意です。
父親は書道用品店を経営し、母親は書道の師範という家庭に生まれた僕は、書道をやらないという選択肢はなく、小学校に入学するとともに母親のスパルタ指導を受けることとなりました(そのわりには上手くならず、後から始めた妹にあっさり抜かされました。)。
今となっては綺麗に字が書けることは得でしかないので、両親には感謝しています。何か文字を書く場面がありましたらご相談ください。笑
ここからは僕のサッカー史を書いていきます!
〜小学校時代〜
茨城県牛久市で育った僕は、入学した小学校の少年団でサッカーを始めました。
1年生の頃だったか、2年生の頃だったか定かではありませんが、隣の小学校の少年団が2人しかメンバーがおらず、僕のチームと合同で大会に出させて欲しいという話があり、僕のチームは快諾しました。
その隣の小学校から来た2人のうちの1人が小松真悟という男です(僕は真悟と呼んだことはないですが、みんな真悟と呼ぶので以下真悟でいきます。)。思えばもう20年近くの付き合いです。自分で驚きます。
チームとしては小粒揃いだったものの県大会ベスト32程度。個人としては茨城県南トレセンに選ばれるくらいの実力でした。ちなみに真悟とはトレセン以外は敵でしたがトレセンのみ同じチームでした。
〜中学校時代〜
特に受験をするわけでもなく、地元の公立中学に進学した僕はその中学の部活に入部しました。真悟とは同じ中学に進学しましたがつくばFCに入団したため、またしても敵同士。
今では見る影もなくなってしまいましたが、この時の僕の売りは運動量。持久走はチームで、というか学校で、というか市内で1番早かった自信があります。どうか信じてもらえますように。笑
茨城県でベスト4〜8くらいのわりと強いチームでしたが、3年最後の高円宮杯の県大会準々決勝で1-7で敗戦。上には上がいることを悟り、受験勉強に切り替えました。
〜高校時代〜
受験勉強をして入学した高校は地区予選止まりの県大会にすら出場できない弱小校。それはそれは弱かったです。しかしながら、僕が入学したと同時に流通経済大学から外部コーチが来てくれることになり、ちゃんとした練習メニューを用意して貰えるようになってから、徐々に強くなり始めました。3年生の時には学校として8年ぶりの県大会出場を果たしました。ちなみに10番着てました。どうか信じてもらえますように。笑
1年生から試合に出れていたので、楽しかったなという記憶が強い高校生活でした。
大学は明治学院大学に進学しましたが、そこから先はとても褒められた生活ではありません、、。
フットサルサークルに入り、ただ遊んでいただけの4年間。それを取り戻すべく、必死でトレーニングに励むばかりです。
昨年の冬に真悟と会った時にRFCに誘ってもらい練習参加させて頂いたときに、やっぱりサッカーが好きだという自覚と、RFCの活動の楽しさからすぐに入りたいと思いました。なによりも、この年齢からまたサッカーをやれる環境に本当に感謝しています。
今はまだチームの力になれてませんが、いずれはスタメンを脅かす、奪えるくらい成長したいと思っていますので、宜しくお願いします!!
次はRFCの守備オタクと噂される来都です!
お楽しみに!!
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