ワールドエンドヒーローズが好き

私の大好きなスマホゲーム『ワールドエンドヒーローズ』のサービス終了が発表された。その数時間後には、様々な文章投稿ツールでワヒロへの想いを語ったものが続々とツイッターのタイムラインを流れていた。私はというと、「すぐに気持ちを文章にまとめられる人、すごいなあ」と思いながら、流れてきた記事を読んでいいねを押したりリツイートしたりしていた。私の中にもいろいろな感情が渦巻いていたが、文章に乗せてインターネットの海に流す気力がなかった。でも、この度noteが「自己紹介をゲームで語る」というテーマで記事を募集しているということを知って、私も何か投稿してみようかな、賑やかしくらいにはなるかなと思って、ワヒロと私について書いてみることにした。

ワヒロを始めるまで私は、自分がゲームに向いていないと思っていた。今も、向いているゲームの方が少ないような気はしている。ワヒロの前に2作ほどスマホゲームをやってみたことがあるのだが、1つめはストーリーの世界観もゲームの操作方法もよく分からなくて、数日で削除してしまった。2つめは世界観と操作方法くらいは分かったので3ヶ月ほど続けたが、惰性で毎日ログインしているだけで別にハマってはいないということにある日気づいてしまい、やめた。私にゲームにハマる才能はないようだからアニメだけ見るオタクに戻ろうと思って、それから3ヶ月くらいゲームなしで過ごした。その後、ツイッターで知らない人が楽しそうに語っていたワールドエンドヒーローズがなんとなく気になったので、三度目の正直みたいな気持ちでダウンロードしたらハマってしまった、というわけだ。

私は昔『結界師』という少年漫画が大好きだったのだが(今も好きだが)、どうやら「特殊能力を持った人間が人ならざるものと戦う」「特殊能力を持った人間たちも一枚岩ではなく、利害関係や複雑な心情が絡み合う」あたりが好みの要素として刷り込まれているらしい(ちなみにワールドトリガーも大好きです)。ワヒロはメインストーリーが序盤からそこに該当しているので掴みはバッチリだったし、あとはミッションの戦闘シーンにかなりテンションが上がった。ヒーローたちはそれぞれ武器も攻撃方法も異なるおかげでヒーロー15人のことは割とすぐに覚えられたし、今度こそ惰性ではなく毎日楽しんでプレイすることができた。ゲーム性に乏しいと評されることもあるが、ゲーム経験がほぼゼロの私にとっては操作が簡単なのはありがたいし、画面のデザインも見やすくて親切だ。歴戦のゲームオタクになんと言われようと、自分のようなゲーム初心者に自信を持っておすすめしたいポイントだと思っている。

ワヒロのストーリーの良さについては既に多くの指揮官が語っているところだが、何番煎じだろうと私はまだ煎じていないの精神で私も書く。制作陣が全登場人物を人として尊重してくれるので、とにかく信用できるのだ。ヒーローたちはもちろん、敵キャラにも彼らなりの感情や思考や過去があって、それらが対峙したとき何が起こるかが丁寧に描かれている。みんな基本的には精神的に大人なので、対立や不理解はあっても一方的な人格否定はない。選ばれし、あるいは自ら選びし一部の少年だけが命を賭して戦うことについても、「そういう世界観だから」と素通りするのではなく、真剣に嘆く大人が登場する。ワヒロの世界は現実とは連続していないが、現代を生きる私たちの価値観と倫理観に立脚して作られているので、不思議なほど快適で没入感まである。すばらしい作品に出会えて幸せな一方、これ以上の物語にはもう出会えないのではないかと不安にすらなっている。いや、これ以上の物語に出会えなくても、私にはワヒロがあれば大丈夫なんですが。

それから、ワヒロについて語る上で私にとって外せないのは、昨年3月に開催され先月復刻があったイベント「春の昨日の、その明日。」である。私がワヒロを始めたのは昨年2月で、このイベントは私がちょうどワヒロというゲームに慣れてきて、「イベント」というシステムを理解しだしたタイミングでの開催だった。それまでにアニメ等を見てきて「過去編は要チェック」という経験則をなんとなく得ていたので、ちゃんと期間内にイベントストーリーを解放して読んだ。ポイント報酬のSSR矢後は取れなかったが。イベントストーリーは一言で言えば矢後勇成の今を裏付けてくれるような内容だ。キャラクター一人ひとりが生きた人間として作り込まれているというのはワヒロの良いところとしてよく挙げられるが、この点に私が強く触れたのは春昨日のイベストが最初だったと思う。また、このイベントでやっとソシャゲのやり方がわかったようなところもあり、まあとにかく、ありがたいイベントだった。

思ったより長くなっているが、もう少し書きたいことがある。ワヒロの指揮官というポジションが非常に私に合っているということだ。指揮官についてはプロフィールが何も設定されていないが、指揮官の役割は結構重要なので、自分を投影するもよし、自分とは別に指揮官の人格を設定するもよし、いわゆる「壁」になるもよし、といった具合で好きなように楽しむことができる。特に私が気に入っているのは指揮官の名前が姓と名の別なく決められるところだ。これが私にとって長所だということには、先日別のゲームで主人公(=プレイヤー)の名前を姓と名に分けて設定させられた時に初めて気づいた。ワヒロの方式の場合、自分が何であるかを決める必要はなく、他者から何と呼ばれるかを決めるだけで良いということだ。なぜこんなことをわざわざ書いているかというと、私は自分の下の名前が嫌いだからだ。嫌いだが、日常生活においては名字にさん付け・名字呼び捨て・名字由来のあだ名のどれかでしか呼ばれないので、下の名前を意識しないでいられる。指揮官名の付け方はこれに近い感覚があって、自分について自分で定義しなくて良いというのが大変肌に合っていたのだ。そんなことを言いつつも誕生日は本当の日付を設定してヒーローに祝ってもらったのだから、勝手な話である。

大体これで思っていたことは書けただろうか。ワヒロは私にとって初めてハマって、課金したゲームだ。これからどんな作品に出会っても、ワヒロの特別さが薄れることはないだろう。運営がサービスを終了してアプリがオフライン版になっても私はずっと指揮官でいるつもりだし、他の指揮官とのつながりもできれば保っていたい。何らかの形でワヒロが復活したらまた元気に応援できるように貯金もしつつ、生きていきたいと思う。

#自己紹介をゲームで語る

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