”遅れすぎ”クリスマスプレゼント:前編
「聖夜の軌跡 -receive a bequest-」
前編:リメイク再掲
「しんぐるえーる、しんぐるえーる、ススまぁみれえ……ですの♪」
扉を開けた途端に響いてきた奇怪な歌声に、思わず顔をひきつら
せて、彼は半歩後ずさった。
「あ、ローカスさん。いらっしゃい」
「あ……あ、うん……。ああ……」
いつもと変わらぬ穏やかな笑顔で挨拶をするアヤ。
その背後では、3人の子供達とモナティがなにやら鉢植えの木を
前にして、紙細工やら毛糸の玉やらを飾りつけていた。
「……なんの騒ぎだ、これは?」
咳払いをひとつして平静を取り戻すと、怪訝な目を向ける。
「くるしみます───だとさ」
「クリスマスですよ、ガゼルさん。それじゃ全然、楽しくないです」
椅子に座っていたガゼルの白けた言葉を、正しく訂正するアヤ。
「私の世界のこの時期に行われる、お祭りみたいなものなんです」
「……収穫祭や新年祭のようなものか?」
「ええ、そうです。詳しい由来とかは、実は私もよく知らないんで
すけど───」
木に飾りをつけて、ごちそうやケーキを囲んで、楽しく騒ぐ。
「大体そんな感じです。まあ、大人には大人の過ごし方とかもある
みたいなんですけど、ちょっと私の口からは言えませんね」
「言えないようなことなのか」
「言えないようなことです」
にこにこしたまま、アヤは平然と繰り返す。
「そうか……」
深く触れないほうがよさそうだ、とローカスは判断した。
「それよりも”さたん”さんですのーっ♪」
ぴょんぴょんと嬉しそうにはねながら、モナティがまた謎の名前
を口にした。そのスカートの裾をくいくいと引っ張り、今度はラミ
が訂正する。
「”サンタ”さん、だよ……」
「うにゅ? そうともいいますのー♪」
サンタクロース───クリスマスの夜にやってくる赤い服を着た
白髭のお爺さん。いい子にしていた子供には、枕元に置いた靴下の
中にプレゼントを届けてくれるのだという。
「モナティ、いーっぱいおてつだいしていいこだったから、きっと
”たんさ”さん、ぷれぜんともってきてくれるですの♪ すごーく
たのしみですのーっ♪♪♪」
「きゅーっ!」
ガウムを抱え上げて、心底嬉しそうにモナティはくるくると回る。
「それはどうかしらね?」
フンと鼻で笑って、エルカは意地悪な視線をモナティに向けた。
「アンタの場合はドジばっかで、かえってリプレに迷惑をかけてた
もの。プレゼントどころか、罰としてとんでもなく恐ろしいものが
入ってたりして……」
「そ、そんなのイヤですのぉーっ!?」
途端に顔面をくしゃくしゃにして、べそをかくモナティ。
「心配いらないって。モナティががんばってたのはホントだもん。
オイラがちゃんとサンタさんに言ってやるからさ?」
「うにゅうぅ、アルバくぅん……」
年少のはずのアルバに励まされ、すんすんと鼻をすするモナティ。
無言でラミが背伸びをして、ハンカチでその涙を拭いている。
「フンッ! ガキよりガキなんだから……。だいたい、そんな話を
本気にしてるってこと自体が、お笑いぐさだわ」
そんな憎まれ口を叩くエルカの背後へと、そっと忍び寄る影。
一転、素早い動きで、彼女が背後に回した手の中に隠していた物
をひったくった。
「……とかなんとかいっちゃってぇ。ちゃっかりこんな立派な靴下
を用意してるのは、だーれかなぁー?」
「ふぃ、フィズっ!?」
赤と白のシマシマの入った、膝上近くまである大きな靴下。
ニヤニヤ笑いを浮かべたフィズは、見せつけるようにしてそれ
をふり回す。
「年中素足のエルカが、リプレママに靴下をおねだりしてたのは、
もしかしてぇ……」
「か、返しなさいよぉっ!? バカぁっ!!」
怒りと恥ずかしさで、真っ赤になったエルカが飛びかかった。
ひょいとそれをかわして、笑いながらフィズが逃げてゆく。
───わいわい、がやがや。じたばた、どたばた。
「ったく、やかましいったらありゃしねえぜ」
「まあ、そう言うなガゼル。祭りというのはにぎやかすぎるぐらい
が丁度いいってもんだぞ。わっははははは!」
両手に新たな木を抱えて、エドスがやってきた。
「そういやお前、そういうの好きだったっけな」
「おう、大好きだとも!」
たくましい胸を反らせて肯定すると、エドスは子供達のもとへと
さらなる飾りつけ用の木を運んでいった。
「こういう時のエドスさんのはりきりようは、はっきりいって異常
ですから……」
苦笑しながら、アヤがつぶやく。
「───しかし、いいのか?」
はしゃぐ子供達の姿を見ながら、ローカスは疑問を口にした。
「クリスマスとやらはアヤの世界のものなんだろう? オレたちの
世界にまでサンタクロースとやらがやってくるとは思えんのだが」
そもそも、そんな奇特な老人が実在すること自体が疑わしい。
「あんなにもみんな楽しみにしてるんだ。これでプレゼントとやら
が届いてなかったら、それこそ……」
「……その点は、ちゃあんと抜かりはないわよ?」
ふふんと得意げに笑って、そう答えたのはリプレだった。
その手にはかき混ぜ途中のボウルと、泡立て器が握られている。
「サンタさんがこなくてもね、プレゼントは届くんだもの」
手編みの帽子やセーター。とびっきり美味しい手作りお菓子。
それに───。
「手作りだけじゃないわ。お店にしか売ってない品物も。そこの机
の前でへばってる誰かさんが、がんばってくれたから……ね?」
「……ケッ!」
そっぽを向いたガゼルの指には、いくつも包帯が巻かれていた。
「採石場のお仕事って大変なんですね。短期集中の現場だったから、
余計にきつかったみたいで……」
唇に人指し指を当てて、アヤがつぶやく。
「エドスさんやジンガくんが、あれだけパワフルになるのもわかる
気がします。はい」
無論、そのエドスもジンガも、心ばかりの出資をしている。
正式に騎士団に復帰したレイドにいたっては、なおさらのことだ。
なるほどな、とローカスはうなずく。
「お前達全員が、サンタクロースってワケか」
そういうことよ、とリプレは笑った。
「とびっきりのごちそうを作ってるから、楽しみにしてなさいよ?
ペルゴさんも差し入れしてくれるって話だから、超豪華だぞ♪」
鼻歌を奏でながら、彼女は再び戦場である台所へと帰っていく。
「まいったな……」
バツの悪さに、ローカスは頭を掻いた。
「知らずに手ぶらでやってきたから、肩身が狭いぞ」
「あら。それを言うなら、私なんて未だに居候の身分ですよ?」
フォローになっていないフォローをするアヤ。
「お前はいいんだよ。事情が事情だからな。しかし……」
机に突っ伏したガゼルをチラ見して、ローカスは眉をしかめる。
「あいつさえ珍しく善行をしているのに、なんにもしないままって
いうのは、どうにも我慢ができん」
「はあ……。男の人って、そういうところは変にカッコつけたがり
ですよねえ。わからないでもないですけど」
「言ってろ」
吐き捨てて、ローカスは踵を返した。
まっとうな身分ではなくても、それなりに稼ぎはある。
手みやげのひとつくらいは持参したい。
「お月さまが空の上に昇ったらパーティだからね! ちゃんと戻っ
てきなさいよ、ローカスぅ!?」
念を押すフィズのこましゃっくれた声に、背を向けたまま、手を
ひらひらさせて応えると、彼は孤児院を後にした。
◆
ゴロツキから義賊。義賊から領主に反抗する組織のリーダー。
組織が潰えたあとは死刑囚となり、孤児達の集団へと匿われて。
(今じゃまた、ゴロツキの元締めか。ふりだしに戻った気分だぜ)
唇の端を歪めて、ローカスは自嘲する。
無論、今の彼の立場は、彼自身が卑下するようなものではない。
領主の圧制が終わり、サイジェントを襲った悪夢の日々が過ぎて。
秩序を取り戻していくその課程で、街は大きく混乱した。
ことに、裏の社会においては。
環境が変わればパワーバランスも変わる。
なにかを失った者、得た者、得ようとする者。
混沌とした利権争いの中で、犯罪に手を染める者達の何人かは、
人として最低の良心さえ捨ててしまった。混乱に乗じて、大陸各地
に勢力を伸ばそうとする犯罪組織が、介入してきた結果である。
その目論見を潰したのが、ローカスだ。
彼はいがみあう勢力同士をなだめ、あるいは諫めて、崩壊しよう
としていた裏社会の秩序を回復させた。そして、ついに組織の勢力
をサイジェントから叩き出してしまったのである。
結果───ローカスは、裏社会での顔役となった。
(オレ一人っきりじゃ、なんにもできなかったんだがな……)
騎士団に戻ったラムダの下を離れた、ペルゴやスタウト。
彼ら三人の知り合いである、まっとうに表を歩けない者達。
そしてなにより、あの始終にこにこと笑っている黒髪の少女。
様々な助けがあったから、彼は生き延びられたのだ。
「最後は結局、バケモノ相手の戦争になっちまったしな」
思い出すだけで胸が苦くなる───そんな戦いだった。
未だ、その時の傷は完全には癒えてない。
きっと、生きている限りはずっと、痛みに苛まれ続けるのだろう。
茜色に染まりはじめた空を仰いで、彼はため息をついた。
「あんたの言ってた言葉の意味が、ようやくわかってきたよ……」
しばし目を閉じて、思い出す。
彼が勝手に師匠と呼んで慕った、あの人の面影を───。
◆
ちょろい獲物だと思った。
ボロ布を頭からマントのようにかぶって、よたよたとした動きで
暗がりを歩いてゆく人影。
だが、みすぼらしいなりとは裏腹に、その手にはパンやチーズが
たっぷりと入った紙袋が抱えられている。
(あれだけあれば、しばらくは食うに困らねえ……!)
橋の下から値踏みして、少年は決断した。
錆びた鉄棒をぎゅっと握りしめ、全力でその背後へと追いすがり。
脳天めがけて、思いっきり振り下ろした───はずだった。
───ドゴッ!
しかし弾け飛んだのは、血飛沫ではなく土くれだった。
すんでのところで、人影が凶器をかわしたのだ。
振り返る動きと同時に、ボロ布がふわりと宙に舞う。
「ッ!?」
不意に視界を覆われて、少年は狼狽した。
次の瞬間、鈍い痛みが足首へと走り、気づいた時には地面に仰向け
に転がされていた。靴の踵が胸元に押しつけられて、立ち上がれない。
「……なぁんだ。タダの子供じゃないの」
想像していたものとはまるで違う不思議な声が、そうつぶやいた。
押さえつけていた踵が離れる。
即座に少年は立ち上がり、後退しながらボロ布をはねのけた。
「!?!?!?」
雲間を割って、うっすらと射した月明かり。
その中にたたずんでいたのは、真っ白な肌をした麗人だった。
いや、麗人と呼ぶのには、はばかりがあろうか。
その人物は上等な服こそ着ていたが、それは古びて汚れきっていた。
白い肌にもあちこちに傷が刻まれ、まだらのように痛々しい。
そして、なによりも少年を絶句させたのは。
ひらひらと夜風にたなびいている、右腕があるはずの服の袖だった。
「ものすごい殺気を放ってたから、てっきり刺客かと思ったわよ」
艶然と笑ったその顔は、背筋が凍るほど美しくて、恐ろしかった。
鉄棒を握りしめた手が、ぶるぶると震えている。
手を出してはいけないものに手を出してしまったことを、ほとんど
本能的に少年は悟っていた。
───コ・ロ・サ・レ・ル───
「ひ……っ、あ、ああああぁぁァァ……っ!?」
腰が砕けて地べたに座りこむ。股間に生温い感触が広がっていく。
そんな少年の姿を見つめながら、麗人は眉をひそめてみせた。
「殺される覚悟がないなら、無闇に殺しなんてやるもんじゃないわ」
地面に転がってしまっていた紙袋に、ゆっくりと手を伸ばす。
「いくら死にそうなほど、お腹が空いていたとしてもね」
「ひ、いぃィィ……っ」
次の瞬間。
麗人の手が素早くひるがえり、少年の胸元に何かがぶつかった。
「!?」
まだ熟しきってない、緑がかったナウバの実。その一束だった。
「あげるわ」
呆然とする少年に向かって、麗人は素っ気なくそう言った。
「昔の知り合いのことを思い出して、つい買っちゃったんだけどね。
別にその人みたいに大好物ってワケでもないから」
紙袋を拾うと、それっきり麗人は一言も発さず、背を向けた。
絶望的な恐怖は去った。
が、それと同時に少年の内部でたまらない屈辱感が燃えあがった。
「バカにするんじゃねえぞッ!!」
少年は吠えた。
「絶対に、オレはテメエを許さねえからなッ!? 次は、テメエを
地面にはいつくばらさせて、ヒイヒイ泣かせてやるからなッ!!」
けれども、その後ろ姿が見えなくなるまで、ついに少年はその場
から一歩たりとも動くことはできなかったのである。
◆
少年は憎んだ。
あの麗人を。
そして、それ以上に無様だった自分自身を。
浮浪児にも気位はある。まして、彼は特にそれが強かった。
毎日。同じ時刻。同じ場所。
少年は仄暗い復讐の炎に身を焦がして、その機会を待った。
呆れたことに、麗人はなんの警戒もせずに現れた。
毎日。同じ時刻。同じ場所。
そして───結果も同じだった。
◆
「いい加減に懲りなさいよね、ボーヤ?」
呆れた顔で、麗人が少年を見下ろす。
地面にひっくり返ったまま、少年は必死でにらみ返す。
気後れだけはしなくなった───それが唯一の進歩だったのか。
「だいたいね。毎日毎日ここでこんなことしてるヒマがあるんなら、
真面目に働いたらどうなのよ? 少なくとも、痛い思いやひもじい
思いはしなくてすむんじゃないの?」
正論めいた言葉のひとつひとつが胸に刺さる。
それが、ますます少年の憎悪の炎に油を注ぐのだ。
「テメエになにがわかるってんだよッ!!」
少年は吠えた。吠えることしかできなかった。
吠えながら、今度は目の中から熱いものがあふれてきた。
「働ける場所なんかあるもんかよッ!! 親も住む家ももってない、
野良犬みたいなガキなんて、まともに扱っちゃくれねぇよッ!!」
それは、少年が身に染みて知っている現実だった。
最初からこうだったわけじゃない。
彼は本来、塩を扱う富豪の子供として裕福に過ごすはずだった。
けれども法律が変わって、領主が利権を独り占めにして。
破産した一家は離散した。
借金取りに追われて、街から街を流れ続けて。
病み疲れた母が死んだ時、彼は天涯孤独となった。
スラムに流れて、狂犬のように他人を傷つけ、物を奪いとって。
ようよう、今日まで生き延びてきたのだ。
「その苦しさがテメエなんかにわかるかよッ!?」
返ってきた言葉は、冷淡だった。
「……悪いけど、これっぽっちもわかんないわね」
二の句を継げず、少年は絶句した。
「アンタにとっちゃ苦労話でも、アタシにとっちゃ他人事だもの。
安く同情するつもりもないから、そうとしか答えられないわ」
でもね、と麗人は言った。
「苦労してようとしてなかろうと、アンタの理屈はアンタの中だけ
でしか通用しないわ。そんなものを持ち出したって、他人様は全然
納得しちゃくれない……」
獲物を射すくめる氷のような眼差し。
それはある意味、麗人の真摯さだったのかもしれない。
「アンタはただのありふれた浮浪児よ。それ以上でも以下でもない。
自分を必死に正当化して、世の中に甘えてみせるのはおよしなさい」
ちくしょう───と、少年はうめいた。
「ちくしょう、ちくしょお、ちくしょおぉぉ……ッ!!」
わかっていた。
全部、わかってはいたのだ。
わかっていても、でも、どうにもできない。
無力すぎて、どうにもできない。
「うわああああああああアアアアアアアアアぁぁァァァぁぁッ!!」
少年は泣いた。泣きわめいた。
そして、じっと麗人はその姿を見つめ続けた。
泣いて、泣いて、泣き疲れて。
ゆっくりと、彼が自分の意志で立ち上がった時。
再び、麗人が口を開いた。
「……強くなりたい?」
少年はうなずいた。涙と泥でぐちゃぐちゃになった顔のままで。
「なら、ついてらっしゃいな」
それが、名も知らぬ師匠との日々の始まりだった───。
<前編:ここまで>