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怠惰を求めて勤勉に
「怠惰を求めて勤勉に」私の大好きな言葉であり、座右の銘にしている言葉です。今回はこの言葉についてご紹介したいと思います。
(元ネタ)「哲也」
そもそもこの言葉は漫画「哲也-雀聖と呼ばれた男-」に出てくる言葉です。
簡単にご説明すると、坊や哲と呼ばれるイカサマ雀士の伝記です。
その中で坊や哲の師匠に当たる人物、房州さんがバーのママとの会話で発した言葉です。
哲也(坊や哲)と房州さんがバーへ行き、房州さんがサイコロを振って好きな目が出せる技を披露します。その時の会話が以下の通りです。
ママ「不思議だねぇ」
哲也「サイ振りがかい?」
ママ「違うわよ」
ママ「博奕打ちってのは楽して大金を稼ごうって人種だろ」
ママ「でもそのわりにはやけに勤勉じゃない」
房州「怠惰を求めて勤勉に行き着くか・・・・」
房州「カカカ・・・・それもそうだ」
あぁ言い忘れていましたが、正確には「怠惰を求めて勤勉に行き着く」ですね、わざと行き着くを削っている理由は後程ご説明します。
怠惰を求めた結果勤勉になる
博奕で楽をして稼ごうとすると普通にやっていては稼げない、だからイカサマ(技)を身に着ける、でもその技を身に着けるには努力が必要。
結果的に楽して稼ごうという魂胆だったのに、努力をしている。不思議ですね。でもこれは日常に当てはめると色々なところに当てはまるのです。
例えば就活、最初は誰しも大企業を目指して勉強をするものです。
その魂胆には「大企業は給与や待遇が安定しているから楽である。」というものが含まれています。みんな実際には怠惰(楽)を求めて勤勉になっているのです。
真の怠惰は避け続ける事
私がこの言葉の「行き着く」の部分を削った理由ですが、それは誰しもが勤勉に行き着くとは限らないからです。
真の怠惰というのはここにあります。
例えば、パソコンの入力作業を手入力でやっているとします。これをプログラムを組めば自動化できると分かってはいるが、未だに手入力で作業をしている。何故手入力を続けるのか?それは変化をすることが面倒だからです。
プログラムを組めば効率化できるのは知っているけどプログラムを書くのが面倒だ。つまり勤勉に行き着かずに現状維持をしているのです。
このように勤勉という名の変化に対応できない人というのは一定数いるものです。だから誰しもが勤勉に行き着くとは限らないのです。
この行き着かない状態の事を私は真の怠惰だと考えています。
だから私は「行き着く」を削って、必ずしも勤勉になるとは限らないから常に勤勉であるべきだと意識せよ、と自負して考えています。
怠惰になれる仕組みを作る
私の最終的に目指している「怠惰」というのは具体的に言うと、
「10~20年後に不労所得と週2~3の好きな仕事で生活ができ、うさぎを飼う」です。
なので私は不労所得をNISAなど積み立て投資で作りつつ、老後もできる週2~3でできる好きな副業を探して色々学んでいます。
十数年後にそれを達成して「あの時頑張って良かったな~」と思えるために今を勤勉に生きる、これが私のモットーです。
怠惰を勤勉の元にして毎日一歩ずつ進んでいきたいと思います。
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