我に返りすぎた日々に
コロナが流行りだして2度目の春である。個人的には、自分や家族の仕事はモロに影響が出るので、日々の感染者数に感情をいちいち揺さぶられていたのである。こんなにも現実を突きつけられながら過ごす日々も経験がなくほとほと疲れている。いわば、図らずもシラフで居続けている、シラフにさせられているような感覚であったのだ。
毎年春ごろになるとTOMOVSKYの'我に返るスキマを埋めろ'を聞く習慣が自分にはある。初めて聞いたのが春先であったというだけかもしれないが、聞き心地のさわやかさが、少し暖かくなって湿度が増えてきた春先の空気にとても相性がいいのである。今年も春がやってきて、条件反射的にこの曲を気づけば聞いていた。
いちいち招くな いちいち入れるな いちいちココで感じるな 何か聞こえても 何か気づいても 何かわかっても,,,,
幻想で妄想でこの部屋を満たして、もう帰らないように我に返るスキマを埋めろ と歌う歌詞が過去に何度も聞いているにも関わらず今になってリアリティをもって迫ってきたのである。我に返るスキマを埋めろと連呼するこの曲のもつ絶妙なシラフ感が、コロナで否が応にも現実に目を覚まさせられてる今の状況にとても重なって、リアリティをもって腑に落ちたのである。
また、TOMOVSKYのキャラクターも影響があるのかもしれないが、この曲の圧倒的に酒の匂いがしない昼間感が、よりシラフ感を高めているようにも思える。’リアルである’ということが音楽を評価するうえでの価値基準の一つであり、そのリアルさ加減が絶妙であるほど、ある種中川家のミニコントのようなカタルシスを感じるのだと考える。こと'我に返るスキマを埋めろ’については個人的に数年聞きだして、時代の変化によって曲の持つリアリティが絶妙なマジックを起こし’化けた’のである。
コロナでやなことばかりであったが、今まで接していたものが違って見えてくる世界線も悪くないなと思い、念のためここに記録しておく。
と書きながら、とても孤独な文章で、本格的に友達がいなくなったなと実感した。それもコロナのせいにしておく。
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