吐き溜め
noteを開いていただきありがとうございます
ReyByouです
私事にはなりますがnoteを始めてから3か月がたちました
このタイミングで少しnoteを始めようと思った
きっかけみたいなものを書こうと思います
誰のためといわれたら…自分のためです
初心忘れるべからずみたいな感じです
私は小さい頃から一人でいる時間が長かったからか
よく妄想をして楽しんでいました
多分その時の癖で今でも常に何か考えています
ということを考えてることもあります
日々生きている中で
外からの刺激を受けて自分の中で咀嚼し理解して
なにかの形にして外に放出する
その放出の仕方は人によって様々だと思いますが
私は概ね 人と話す・書き出す・歌にする・ものに託す
このうちのどれかで日々放出しています
そうしないとそのうち
自分の中に言葉と感情が溢れて溺れてしまいます
音楽は言葉がないから好きです
歌詞の入った歌の方が情報量としては多いはずですが
私は歌詞のない曲の方が沢山の情報をくれる気がします
歌詞があるとどうしてもその言葉の意味に引っ張られて
アーティストが届けたい正解に向かいがちです
歌詞の無い曲の方が自分で想像しながら聞くので
感情の余地があって普段から良く聴きます
私たちが使う言語、厳密には自然言語ですが
自然言語には特徴として「曖昧さ」があります
同じ言葉でも意味が複数あったり
分中でのどこに意味がかかっているのかの解釈によっても
意味が変わってきたりと非常に複雑です
しかし我々は時にその曖昧さによって救われたりします
人間は日々言葉を使って生きているし
言葉によって生かされていると思います
こうして今noteに書き記しているのもまさに言葉です
私は本読んだり曲の歌詞を読むのも好きで
そこで様々な言葉に出逢います
知識としてまたは暇つぶしで本を読む
自分の感情を表してくれる言葉を探すために歌詞を読む
という目的で触れることがほとんどですが
ふと自分に刺さる瞬間に出逢うと
自分は言葉を探していたんだなと感じます
私の好きな本で「星の王子さま」という作品があります
読んだことがある人もいるかと思います
その中では確かに使っているのは言葉なのですが
非常に曖昧です
でも私たち人間はその曖昧さを"そうぞう"する能力があります
言葉の意味を想像して創造して信じる
私たちにはフィクションを信じる能力があります
そこでそうぞうされたものはその言葉に出逢ったときの
タイミングや自分の周りの状況などで
180度変わることもあります
それがこの本の好きな理由でもありますが
たいてい人間は占いからも見てわかるように
自分のいいように解釈するので
今このタイミングで出逢ったという偶然性から
だまされるのだと思います
だまされるというと悪く言っているように聞こえるかもしれませんが
それがいけないことだとは思いません
世界のあらゆるものは一定のバランスによって保たれているので
ある一方でだまされなければある一方が成立しないのだと思います
そのふたつを比べることは無意味だし不可能だと思います
こんな自分のことは私にしかわからないし
私だからわかることが多いと思います
そんな私の良いところや悪いところ(イヤなところ)を見つけるためにも
私たちは日々生きていく中で言葉に触れて
互いに影響を与え合っているのだと思います
まだnoteを始めてから少ししか経っていませんが
それでも始める前よりかは大分気持ちが楽になった気がするし
考え事は相変わらずしてしまうけれど
なんというか悩むことは少なくなった気がします
やはり自分の中に閉じ込めたままではどうしても忘れられずに
ずっとそのことについて考えてしまいます
そのためにも少しでも
自分の中から外に出すことで忘れることが出来ているのだと思います
ただ自分の中から外に出して捨てるのでも良いし
少し離れた場所に置いておくだけでも違ってくると思います
長くなってしまいましたが
私がnoteを始めて感じたことを少し書いてみました
これからも日々感じたこと思ったことを言葉にして
気が向いたらnoteにあげたいと思います
ですので気が向いたらまた読みに戻っていただけたら嬉しいです
最後まで読んでいただきありがとうございます
またどこかで逢いましょう
ReyByou.