自分が求める誠実な人が自分の周りに少ない理由
誠実な人。
それは万人が好きなタイプの人だと思います。
特に恋愛系の話には必ず「誠実さ」という数値化出来ないのに具体的な評価基準があります。その評価基準は例えばこのようなものではないでしょうか。
・付き合ってからも相手に時間を使う
・何かに真剣に取り組んでいる
・責任感を持って逃げ癖がない
これらはほんのごくわずかな例ですが、実際みんなこれらを持っています。つまり、「実は誠実な人はごまんといる」のです。ですが、世の恋愛、結婚市場ではほとんど見かけないという声を聞きます。それはなぜでしょうか。
理由は大きく2つだと思います。
まずは「人は目に見える誠実さに惹かれない」からです。例えば、誠実な人は誠実さを売りにしていません。そのような方はむしろ「自分には個性がなくて悩んでいる」という方もいるかもしれません。誠実さはそれが表立っている時に「面白みに欠ける」という特性があるように思います。つまり、「自分にとっての誠実さを持つ人は、自分が刺激を感じにくい人」と言えます。
恋愛で求める人とはどういう人でしょうか。「ドキドキ」や「ときめき」「特別感」といった非日常らしさを感じる相手かどうかで多くの方は見極めているのではないでしょうか。
「恋愛に疲れたから普通の人がいい」という方はどうでしょうか。そんな人なら誠実な人は欲しさに自分にとって面白みに欠ける人に愛を注げるでしょうか。それはかなり難しいように思います。結婚においても「嫌なところがなかった」と言う人でさえ、少なくともその人で多少の刺激が得られるからいたいと感じられたのではないでしょうか。
要するに、私たちが求めている「誠実さ」は人の裏側からうっすら感じる程度なのです。言い換えれば、意外性がないと誠実さの魅力を感じにくいとも言えます。これは例えれば、ヤンキーが捨てネコを愛でてるところを見たときの感覚に近いのかもしれません。ネコ好きかネコを愛でても何も感じないですよね。同じネコを愛でるという行為においても、しそうにない人がすると魅力的に見えるのです。
そしてもう一つは「誠実さを語る人が誠実ではない」という辛辣な意見です。類は友を呼ぶのです。つまり、自分が誠実じゃないから誠実な人が来ないので、探すハメになっているのです。
では、誠実な人を知ってそれを真似れば自分のもとに来るでしょうか。答えは否です。今度はそういう人が周りにきます。心から変わるようになった時にあなたが求める誠実な人が来るかもしれません。
本当ならば、学んだことを活かして自分の恋愛や結婚が充実していけるのが理想です。ですが、感覚的に理解することと自分の感覚が学んだことというのには大きな隔たりがあります。
私自身、傾聴の本などを読んでいたいほど痛感しました。「本を読んで書いたことをすればいいのだろう、簡単な話だ。」とか思っていました。ところが本を読んだことを実践してみると、果たしてこれでいいのだろうか、とか、もっとこうしたらいいんではないだろうか、なんて思ったりするものです。結果として、習ったものの原型をとどめていない我流のインチキ傾聴術の完成です。やはり「言うは易し するは難し」なのです。
かといって、人の経験を知っておくことは無駄ではありません。似たような経験をしている人を何人も見ておくと、いざその場面に出会したときに「このことか」と身構えることができます。受け身を取れば怪我をしないということにはなりませんが、受け身が取れるかどうかで怪我の程度か大きく変わります。
ですがあくまで「受け身が取れる」というものなのです。その知識を知っているのと体験した人とでは見えている世界が全然違います。
例で音楽を取り上げます。一度楽器をやると音楽の聞こえ方が変わるという話を聞いたことがないでしょうか。今まで全く気にしてなかったただの音に対して、どういうコード進行してるかとか、どんなテクニックが使われてるか、という部分が途端に気になりだすのです。
ではこれを誰かに話したとして、それを伝え聞いた人は実際やった人と同じ聞き方ができるでしょうか。実際かなり難しいかと思います。感覚的には分かるかもしれませんがらその人はどのテクニックを使ってるかを知ってるだけで、それがどれほど難しいかまでは分からないからです。あくまで「難しそう」というところまでしか分からないのです。
これと同じようなことが誠実な人に対しても言えるのではないでしょうか。誠実な人を知っているだけではなく、実際に心からなってみるのが大事なのです。そうすると、びっくりするくらい人の見え方が変わります。口の悪い人といると自分の口も悪くなるのと同じ原理です。同族のことは同族が1番わかっているものなのです。
自分の誠実さを逆手にとる人もいるかもしれません。だからと言ってあなたまで逆手に取る側に立つ必要はありません。いつかバチが当たればいい、なんて思っとけばいいのです。社会の汚さで表面的に汚れている人の奥にもきっと見える人には見える「誠実さ」が潜んでいるものなのです。