リワドロのスタイリング動画が静かに炎上しました
リワードローブ南部です。
数日前、インスタに上げたリワドロの動画に批判のコメントが集まって、静かに炎上しました。
批判や中傷を受けることはこれまでもあったし、どれくらいで「炎上」っていうのか分からないけど、数で見ても率で見ても(その動画へのコメントに占める批判コメントの率)、私たちにとっては炎上でした。
この1週間は、たくさんの時間を使って川村と一緒にこのことに向き合いました。
動画はこちら。
「式典用の服がガチガチセレモニーになっちゃう、今っぽくカジュアルにしたい」という悩みにスタイリングでお答えしたもの。
先にtiktokに出していて、集まった100件以上のコメントは、悩みへの共感や、ご自身の式典参列時の服の話、地域や学校によるという話などが中心で、一部、
「式典なんだからフォーマルじゃないとおかしい」
というコメントがありました。
その後、同じ動画をインスタに出して、類似のコメントがたくさんつき、増えていき、18件のうち大半を占めました。代表的なものがこちら。
tiktokとインスタ、反応の違いの理由はおそらくいろいろで、
リーチしている層の違いもあると思うし、tiktokは1年弱かけてコメントやライブでフォロワーの方とのコミュニケーションを重ねてきて、リワドロが大切に思っていることに共感して観て下さっている方が多いのに対し、インスタはここ数週間で急速にフォロワー数が増えたので新しく観てくださる方が中心だというのもあるし、コメント欄で目立つものが流れを作ったというのもあると思います。
コメントを読んで、最初はとても動揺して、
「動画の中でも、コメントでも、ちゃんと説明してるつもりになってる部分、全然伝わってないんだな」と思い、
だんだん、
「カジュアルにしましょうなんて言ってない、フォーマルにしたい人はしたらいいし、場に合わせて自分で選べることが大事だって伝えたいのに」
「その人の希望も式の雰囲気もいろいろあるのに、こうでないとだめっていう方が乱暴じゃない?」
などなど、沸々と湧いてきて、川村とたくさん話しました。
「いろんな意見が出るのはいいことだし」
「反対したり批判されることって発信してたらなくならないし」
とかいう言葉で正当化したり、理解されなかったということを悲しんだり、一通りぐるっとした後。
なんで分かってくれないんだろう、という思いで見ているときには気が付かなかったけど、何度も何度もコメントを読んでいるうちに、
「今っぽく素敵にしたい」とか「(フォーマルが)お母さん世代みたいで古い」って言ってしまってるから、「(フォーマル着てる)あなたたちはだめ」という否定や、「フォーマルなんて着なくていい」という軽視に感じるよな、と思えてきて、コメントのうしろに、
入学式・卒業式の式典を特別で大切だと思う気持ち、
主役である子供たちへの祝福、
学校という場、先生たちへの敬意と感謝、
ルールや礼節、厳粛であること、秩序を重んじる気持ち、
が見えてきました。ようやく。
「フォーマル」というものの否定と軽視は、これらの自分にとって重要なことの否定と軽視と受け取られたのでは、だからこんなに否定コメントが共感を集めているのでは、
さらに言うと、そうやって大切にしてきた自分の思い出と経験も否定されたように思ったのでは、
これは大きな気づきでした。
大切なものを大切に思う気持ちを否定されて傷ついたと感じた人に対して、申し訳なかったと思っています。
本当には、
「多様化=何でもあり、ってことじゃない
今っぽくて素敵!ってやつと、式典への最大限のリスペクト、
両立させることがスタイリングで出来るよ!」
ということに挑戦したかったです。これは再チャレンジしたいと思います。
正解ではなく選択肢を提示すること
自分が大事にしたいことを大事にしようと伝えること
私たちがそれを体現すること
そして、動画が再生されて観てもらえないと始まらないから、
分かりやすいこと
目を引いて続きを見たいと思ってもらえること
動画コンテンツとしておもしろいこと
「これ全部を2分の動画で成す」これにトライしてきて、これからも続けていく私たちにとって、今回の炎上からの学びは大きかったです。
ここまではリワードローブとしての文章で、ここから南部個人として。
コメントを読んだとき、「川村を守らなければ!!!」みたいなウルトラマンモードに入った自覚があって、
tiktokもインスタも、スタイリストである川村のアカウントという見せ方でやっていて、「(特に解説系の動画の)中身は2人で考えてるんです」って言っても、動画内で解説しているのも川村で、当然顔も名前も全世界に公開して「発言者」という役割をになってくれている。
それは役割であって、イコール本人の人格ではないんだけど、周囲にとっても、私たちにとってさえ、そこはどうしても切り離すのが難しいものだと思います。
そういう意味で、すでに私は守られてるから、「守らなきゃ、助けなきゃ」と思える余裕があったとも言えるなと思うと、発言者の役割を担ってくれていることの大きさを改めて感じたし、労ってビールでも買っとこうかと思いました。いつもありがとう。