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成人式体験記

 私は式が嫌いだ。

 いつぞかの卒業文集にそう書いた記憶がある。人生の節目節目に何かと設けられている「〇〇式」の類いであるが、ぶっちゃけどれも形式的で、意味がないように思える。その最たるものが「成人式」だ。

 子どもと大人との境界が極めて連続的な現代において、一体「成人」になることの何を祝うというのだろうか? 大人になるということは、普段の生活の中で揉まれて、悩んで、苦しんで、徐々に成し遂げていくものであり、1月の第2月曜日を迎えたからと言って、いきなり何かが変わるわけではない。もしそれが、大人になるにあたって周りへの感謝を伝えるためにあるのなら、そういった想いは普段から個人的に伝えるべきで、むしろそうしないと伝わらないのであって、わざわざお金と時間を割いて、普段着ない服を着て、自分に嘘をついて自分をよく見せたって、本質は変わらないのだから、やらない方がいい。というかそもそも、今は新民法の下で18歳から成人なんだから、「成人式」という呼び名すらおかしい(なので以降、全ての「成人」関連の言葉には「」を用いる)

 じゃあつまるところ、「成人式」の意味って何なんだろうと考えてみる。20歳あたりの人たちを集めて「人生の門出を祝う」という建前も、その内実は偉そうな政治家の話を聞くだけで、ちっとも楽しくなければ、祝われている気もしない。結局、その後の同窓会がメインみたいな面が大きいわけだ。そうだとするならば、これは一番肝心なことだが、私は小学校から市外の学校に通ってしまった人間であり、住んでいる街の中にはそんな「成人式」後に会うべき友もいない。同じ横浜市に住んでいる人で、同い年で私が認知しているのはたった6人である。横浜市歌も歌えないし、小学校でベイスターズの帽子も貰えなかった横浜市民なのだ。私は中高を愛しているから、そこの同窓会には「参加」したが、横浜に凱旋したところで、私はナポレオンにはなれないのである。

絶対にみんな幸せになろうぜ!

 私に「成人式マジック」などといった「成人式」の魅力を説かれたところで、豚に真珠である。こんな状況で1人のこのこと横浜アリーナに行ったところで、誰とも顔を合わせず直行直帰してくるのが関の山だろう。

 ということで、結局最後まで「成人式」に出席する意義がまるで見出せなかった私は、予定通り「成人式」をブッチすることにした

また1つ夢を叶えてしまった……

 「成人式」当日、いつもの休日のように11時に起きて、ご飯を食べて、インタアネツトの荒波に乗っていたら、いつの間にか13時を回っていた。手元にあった、家に届いた時からそこに置きっぱなしの「成人式」のお知らせ郵便が目に入る。行かないとは決めていても、どうしても心のどこかで気にはなってしまうものだ。どうやら13時半から式は始まるらしい。当然、今さらやっぱり行くという選択肢はないわけだが、どうやらライブ配信を行うらしいことを知った。まあ暇だし、家でゴロゴロしながら右から左へと聞き流す分には良いかなと思い、配信を聞いてみることにした。今の横浜市長が何を話すのか気になるという、好奇心が大きかった。

 YouTubeを開くと、まさにその市長が登壇するところだった。市長の話は想像よりも面白かった。彼は学者上がりの冴えない男で、3年前の夏、選挙で見ていた頃は候補者なのに大事な話は全部江田憲司と藤木幸雄に任せ、本人は抑揚のない声でひたすら「コロナノセンモンカ。コロナノセンモンカ。」と壊れたラジオのように繰り返していただけだったので、当選時には行く末が大変思いやられたが、どうやらこの2年半で一丁前に見せる業を身につけたらしく、大変素晴らしい選挙運動スピーチだった。来年の改選時には彼に投票しようと思う。

タケハル、成長したな

 続いて市議会の議長とやらの話が始まったが、こちらは市長のそれとは打って変わって、上から目線で、心底つまらなかった。森喜朗も激オコの話の長さで、「あー、やっぱりこれが成人式だよなあ」と我に返らされた。

 政治家の偉そうなお話を聞いていたら何だかお腹が空いてきた。何もしていないに等しいいつもの午前中を過ごしただけだったが、何せ朝ごはんはパンだけだったので、家にあった蒙古ラーメン中卒を食べようとやかんを火にかけた。するとその時、突然、例の6人の内1人からLINEが来た。

 「成人式いる?」

 いるわけないだろ! と突っ返したくなったが、久々の連絡だったので少しやり取りしてみる。どうやら彼は「成人式」に「行ってしまう側」の人間らしい。そして、もしそちらも出席しているのなら、久しぶりに会おうという趣旨のものであった。

 非常に面倒臭かった。そもそも私は怠惰からではなく確信を持って「成人式」を欠席している。そんな私に野暮なことを言うなよ! と叫びたい気分だったが、彼は高校同期でも東大に進学していなかったので普段顔を合わせることはないし、高校時代もあまり活動フィールドが被っていなかったので、私の確信を知る由もないし今さら事情を説明するのもまた面倒だった。

 ただ、せっかくの相手の会いたいという思いを無碍に扱うのも酷である。式自体はもう終わっちゃうけど、会いに行くために外に出るべきかどうか、出来上がったラーメンを啜りながら葛藤していると、ふと頭の中に「人生って、ちょっと面倒臭いなと思ったことは、絶対ハードル乗り越えた方が楽しみが先に待っている」という、ニューハーフ童貞を卒業した際のある名言が降ってきた。

ついやっぱり行っちゃったんすよ、刑務所に

 野菜アンチの私は、この言葉に奮起された。ムロツヨシがつまらぬ話を始めた頃、私はついに20年のくびきから解かれ、まさに「新成人」のような、真新しい、晴れやかな心で、「成人式」へと向かうことを決意した

 だからと言って、式嫌いが改善されたわけでは決してない。私はまだパジャマ姿だったが、時間もないし、そのまま出かけようとした。ただ一度ドアを開けると思いのほか寒かったので、せっかく行くなら少しは地元っぽいものを着て行くかという謎の自我が発動し、結局、その上から1枚だけマリノスのユニフォームを着用して家を出た。

 そんなわけで電車を乗り継ぐと、あっという間に新横浜駅に到着した。

 もう「成人式」終了から30分以上が経過していたこともあり、駅構内は「新成人」で溢れかえっていた。その横で、共産党系の労働組合が署名活動をしていた。素晴らしい! 市長に引き続き、こちらもしっかり「新成人」にオルグしており、活動に余念がない。出来ることなら署名していきたかったが、私は既に出発前のうんちが長引いて約束の時間に20分遅れていたので、断腸の思いでおばさんの声掛けを無視し、待ち合わせ場所へと急いだ。

晋さん、どうして……

 しかし、そこに広がっていた光景は目を疑うものであった。女子のド派手な振袖姿は覚悟していたが、今から討ち死ですか? と言わんばかりの謎ののぼり旗や、似合わぬ一升瓶を抱えた見るからに頭の悪そうなヤカラの方々がゴロゴロいて、かなり恐怖を感じたああ、私の美しいヨコハマが……。

これがニュースでよく逮捕されている人たちなのか……?
こののぼり旗に、一体なんの意味があるのだろうか……

 「目をつけられたら〇られる」と思い、会場に向かう道上、私は必死に「新成人」に見えぬよう擬態した。おまけに、あえて反対側の道から遠回りで横浜アリーナを目指した。それでも式終わりの「新成人」の列に遭遇しないことは不可能であり、何度か身震いするような嫌悪と恐怖を抱きながら、なんとか待ち合わせ場所に辿り着いた。

 彼はしっかりとしたスーツに身を包み、高校の頃から変わらない好青年に育っていた。さすが、「行ってしまう側」の人間だ。周りには彼の中学の同級生(彼は高校からの編入生だった)がおり、これから同窓会に行くところらしかった。

 久しぶりに会ったとはいえ、何の目的もなくただ来ただけなので困る。彼は元々あまり自分から話さない人だったので、私はいつものサービス精神から一方的にマシンガントークを繰り広げた。彼は3年前と変わらず笑っていたが、隣にいた彼の友達は訳の分からない内輪話に終始困惑した表情を浮かべており、話していて非常に申し訳ない思いになった。

 彼の予定もあるから、最後にせっかくなので写真を撮ろうということでシャッターに収まり、足早に会場を後にした。後で気付いたが、こいつのネクタイの巻かれ方、どう考えてもおかしい。もしかしたら彼も「こっち側」の人間なのかもしれないとも振り返ってみたが、まあそれは小さな話だろう。

まあツーショットは撮るに越したことないよね

 こうして、私の「成人式」は5分で終わった。行きと同じように黙って横浜線に乗り、何事もなかったかのように、また1日が動き始めた。

 結論から言うと、やはり成人式は行く必要のない祭りだ。

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