薔薇たちの逃亡
昼下がり、スーパーで夕飯の食材を買い集めてのち、うららかな一軒家が並ぶあたりをボイパしながら練り歩いていた。
そうすると、レンガづくりの6部屋はありそうな豪邸の、それに似つかわしい、フットサルくらいならできそうな広い庭で、瀟洒な銀髪マダムが薔薇の手入れをしていた。薔薇は庭一面に、鉢や鉄の柵などさまざまな意匠とともに、しかし過密というほどでもなく上品に、薔薇素人の私でもわかるほどに咲き誇られていた。
咲き誇られていた、と変な受動系を用いたのは、その薔薇たちは枝や葉の一枚まで、銀髪マダムの冷静な情熱による手入れが満ちていることが一目でわかるからだ。
ちょうど、私1人で開催している、地域声かけキャンペーンの実施中でもあるし、私はこの銀髪マダムに話しかけてみようと思った。
見ず知らずの他人に話しかけるには、いくつかのルールがある。話す理由がわかりやすいこと、話している内容が聞き取れること、見た目や声が普通っぽいこと。
もちろん、怪しい人と思われないで、という前提があっての話だ。怪しい人と思われてもいいなら、そんなこと何も気にする必要はない。しかし薔薇の手入れに勤しむ銀髪マダムを不快な気持ちにさせるのは私の本意ではないので、今回は以下のいくつかの点を気にした。
まず、薔薇がそれほど咲き誇られている庭は早々ないので、その薔薇を褒めることはそんなに違和感はない。
道中私が実践していたボイパはBPMが180以上あったので、そのスピード感で話すと聞き取られづらい恐れがある。そのスピード感で、というよりそもそも私は初手の話しかけはとても苦手なので、口の中で発生練習を行った。話す前に練習ができるようになったのは、最近飲みはじめたオクスリの力だと思う。
見た目については、1月に素足サンダルではあったものの、スーパーで食材を購入している人間であれば比較的安心してもらえるだろうと思った。
それらを確認しつつ、銀髪マダムが私に気付くまで庭の前に立ち尽くしていた。「あの」「こんにちは」などと声をかけても良かったのだが、わざわざ手入れを止めさせてまで話すのは変だろう。
さらに、立ち尽くすことで、綺麗な薔薇に見惚れていた、という状況も生まれる。とはいえ、実際に私は薔薇に綺麗を感じ、このように薔薇を育てた意志と手作業に経緯を伝えようと思ったのだ。
やがて手を止めた銀髪マダムが私に気づいたので、ここだ、とばかりに、焦ることはなくゆっくりと、「とても綺麗な薔薇ですね」と話した。
銀髪マダムはちょっと戸惑った様子だったが、「ありがとうございます」と愛想笑いをしつつ返事をしてくれた。
私はふだんから人に話しかけて返事をもらう経験に乏しいため、その笑顔の返事は、舞い上がるレベルで嬉しかった。通じた!返事があった!
ぜひ、もう一言くらいは会話をしてみたいと感じたが、次はもう少し踏み込んだ内容にしなければいけないようなプレッシャーを感じたので、私は誤魔化して会釈して場を去った。
それから1週間くらい経って、またその庭を通り過ぎる機会があった。銀髪マダムがいればどうしたものか、もしかしたら向こうから話しかけれられる、という僥倖まで期待しつつのぞき込んでみると、一輪残さず薔薇は刈り取られていた。
それは音楽がとまり電灯がついたクラブのような、不適切な場所だった。祝うことを諦めた枝々が力なく風に揺れていた。まるでハイタッチを無視された手のコレクションだった。
私が話しかけたせいだろうか。不審な男性に声をかけられるくらいならいっそ薔薇を刈り取ってしまおう、もちろん、そんなことはずはない。幼い自意識がしばしば陥る罠にかかりはしない。
それは厳冬を迎える前の、薔薇の手入れの一環かもしれない。それとも花束にされ、何かしらの祝いのことばに変わったのかもしれない。
いずれにしてもまちがいなく、薔薇はあの銀髪マダムの手によって刈り取られたのだろう。家族構成まではわからないが、他の家族や業者があの薔薇に手を入れることは許されないという確信はあった。あの薔薇は銀髪マダムの人生をかけた美意識の結晶だ。
薔薇が不在となった庭がいくら荒涼としていても、誰一人、そのことに文句を言える筋合いはない。
しかし、それが銀髪マダムの手によるものだろうが、もしくはある夜に意を決した薔薇たちが一斉に逃亡したのだろうが、そんなことは私の寂しさになんの関係もない。
もちろん文句はない。立派だと思う。それならお前がやってみろと言われたらできませんと謝る。薔薇の生殺与奪はすべて銀髪マダムのもの。
それでも、寂しいものは寂しい。
次に銀髪マダムに会っても、何か話すこともできない。
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