自分で選択してよかったこと
働かざる者、病院へ行けず?
大学院は働きながら通うところ、というのはボリビア全土に共通する常識なのか私が通った大学だけがそういう制度だったのか分からないけれど、学生ビザでの就労が一切禁止なのはボリビアの入国管理法で定められたボリビア全土に共通するルールだった。
ボリビアの大学院に私費留学していた私は、この矛盾に困ったことがある。それは、医療保険だった。
私が通ったUMSAとよばれるサンアンドレス大学の学部生は学生専用の医療保険に入っている。ボリビアは国民皆保険ではないので、病気になってしまうと医療費が払えない問題に直面しがちだけれど、大学には学生のための保険があった。一定額を納ておけば万が一の時に大学病院を無料で受診できるという保険なのだとか。
大学生の医療保険
たまたま知り合ったボリビア人大学生が、日本人男性と学生結婚して妊娠しながら卒業論文を書いていた。大変そうだったけれど、学生のうちに出産すれば保険がつかえるから、大学病院で無料で生めるわ、と話してくれた(詳細不明)。
このころ私は、めまい、貧血、腹痛で下痢、・・・。
まだ20代なのにまるで更年期障害のような症状にさいなまれていた。
なので私も、学生医療保険に入りたいと思った。
しかしセンターへ申し込みに行ったら、門前払いだった。
私の学生証を見て、「院生?大学院は働きながら通うところだから、院生はお金があるでしょ?だから保険には入れないよ」と断れてしまった。
留学生だから、学生ビザだから、ボリビアの入管法で就労禁止されているから、働くことできないし、お金ない!と主張しても、ルールはルールなので院生は入れてもらえなかった。
どうしよう?どうしようもない。
入院すると破産する
ちなみに私は、ボリビアで3回ほど入院している。
1回目は、気が狂っちゃうほどのとてつもない腹痛で。受診したら10日ほど入院になった。2回目は、B型肝炎の予防接種をしたら強烈な吐き気と頭痛で意識を失って。3回目は、黒い下痢をして受診したら4日ほど入院に。そのたびにボリビア人男性たち(医師)から求愛されまして、人生で3回来るといわれているモテ期をすべて使い果たしたように思われますが・・・(どうでもいい)。
ベッドに横たわって点滴されている私のそばに、かわるがわるイケメンドクターがやって来て、英語で自己紹介や雑談、そして握手をしていく。これも治療なのかな?それとも単なるナンパなのかな?英語の練習?(わたし、スペイン語の方がわかるんだけど。。)
病気で心が弱っているときに、ただ黙ってそばにいて手を握っていてくれる存在は、その目的が治療であれナンパであれ関係ない。
看護されている安心感があった。
しかし、不安はつきない。医療費が高額で、肺のレントゲンで120USドルくらい。当時住んでいたアパートの家賃も月々120USドルだった。入院するとそれだけで破産しちゃうほどの大出費だった。今月の予算を使い果たしてしまう。
人間の幸福は、愛と金(カネ)でできている。
愛だけじゃ生きていけないとしても、金だけでは寂しいのである。
金がなければ不自由だけれど、ひとりぽっちの自由は時にむなしいのである。
イケメンドクターに求愛されてたしかに癒えるものがあったとしても、
ホストクラブ級の請求がきたらどうしよう?どうしようもない。と、怖かった(もちろんホストなんて行ったことないのですが・・・)。
自分で選んだこと
その半年後、私は救急車で運ばれた。
外出先で意識を失って倒れてしまった。一緒にいた友人(ボリビア人)が救命してくれて意識を取り戻したもののすぐに手や足がしびれだして、指先から心臓に向かって徐々に麻痺していった。
どうしよう?どうしようもない。
命からがら友人に「私が死んだときは日本大使館に一報して」とか、「これ、大家さんの電話番号!」とか、「パスポートに実家の住所が書いてあるから!」と必死で伝えながら「死ぬ・・・」と息絶える寸前、救急車が来てくれた。
我がボリビア人生に悔いは無し。
そして日本へ帰ることにした。
海外で死ぬと、いろいろなことがとても大変だから。
この選択が吉か凶かなんてわからない。
ボリビアに永住した方が幸せだったと思う日もあれば、
帰国して日本の良さも悪さも再発見して、……。
兎に角、今、私は生きている。
疾病を抱えながらも、今、私は生きている。
自分で選んで生まれてきたわけではない人間が、
生まれてからも、自分の人生のすべてを自分で選べるわけでもない。
肺も、心臓も、私の意思とは関係なく動いている。そしていつか望まなくても必ず止まる。自分の体なのに自分でコントロールできることなんて、ほとんど無い。風邪をひけば鼻水がたれるし、悲しい時は涙が流れる。よだれを垂らして寝ている時もある。鼻水も涙も、よだれも、私の選択で出したり止めたりするのは難しい。
勝手に流れ出てくる。
まるで時の流れのように。
時間は前にしか進まない。
ぼーっとしていても一日が終わる。
泣いても、笑っても、明日が来る。
自分で選べないことが無限にある生活の中で、
どんな些細な決断も、自分で選べるって、それだけで尊くて贅沢だ。
これからも悔いの無いよう、贅沢に、そして幸せに、生きてゆきたい。
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