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最後の仕事
今日、明治大学ラグビー部で最後の仕事をしてきた。
12年間でやってきたことを簡潔にまとめて次の世代に伝える。
干支一周勤めたこのラグビー部で、どんな変化があったのか、
何がわかっていて、何ができていないのか。
自分なりの視点で伝えたつもり。
それをここで簡単に振り返っておきたい。
創世記
2013年度、明治大学ラグビー部は、丹羽政彦監督となって新たなスタートを切った。そのときにスタッフが一新され、順天堂大学整形外科の川崎隆之先生にチームドクターの依頼があった。当時、学会などでコリジョンアスリートに関する発表をしていた私に、「明治を一緒にやらないか」とお声掛けをいただいたことでチームの一員にしていただいた。
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この時期は一言で言えば、荒れ地を畑にする作業だった。
指示系統や組織的な管理は存在しているようで機能しておらず、戦略的なアプローチは難しかった。とにかく起きたことに対応する。私は理学療法士としてクリニックに勤務しており、平日の日中に現場に行くことはできなかったので、勤務後に寮に出向いて選手の怪我の状態、リハビリの進捗、次にやることの指示、復帰時期の目安を決めてトレーナーと連携していた。
19時に寮に行ってそれから15人くらいのけが人を1人ずつチェックする。そもそもその人数を1人でチェックしてリハ内容を伝えて実施させて再評価して方向性を決めるなんて離れ業を3時間程度でやるわけだから、この時はいかに早く評価してどれだけ早く的確に判断できるか、が試された。というかその能力が磨かれた。。それでももちろん十分なことはできず、再受傷や予定通りに治らず、監督・コーチに「プレハブ(予防的取り組み)とスケジューリングの重要性」を宿題としていただいた。
私より、現場のヘッドトレーナーは大変だった。。
コーチとのコミュニケーション、練習のサイドライン管理、グラウンドリハ、病院や検査の手配、代表関連の情報交換などなど、忙殺される、というのはこういうことだな、、という状況の仕事量に圧倒され、日々の仕事をこなすのに精一杯だったと思う。
こんな状況を続けて明るい未来はなかなか見えなかった時代だった。
ただ、予防とスケジューリングに関しては痛烈に意識するようになり、どうすれば正確な予測と予防的取り組みをチームに浸透させられるかは、この後の現場活動における目標となった。
混沌期
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