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ルパン三世 鏡の中のルパン 1stのライバル

たとえば「複製人間」の独創性を考えれば、ルパンにいかに多くの物語の要素があるかわかると思う。そして複製人間のマモーも、実は原作にある「男と男の対決」の流れにあるものだと思う。

原作や1stのパイカルや摩毛狂介。別に世界支配を企んでいるわけでもないし、巨大な権力を持っているわけでもない。なのにルパンを追い詰めスリリングな展開をみせるのは、ルパンと同じくらいクレイジーで、ルパンと同様に不二子に執着を見せるから(摩毛は「霧の霧のエリューシヴ」で恋敵の設定に改変されている)。


そう、敵はルパンのペルソナなのだから、もしルパンが世界支配を目論んでいないなら(笑)、何も相手が巨大な権力の塊である必要はないのだ。男として、実力者として、ルパンと対峙するものを持っていればいいわけで、不二子などの私情が入るとドラマチックになって尚よい(ルパンの男の部分に迫るから)。

ルパンを鏡に映したような、ルパンに近ければ近い程強敵になる。ルパンの存在理由が脅かされるからだ。そしてそれこそルパンが最も恐れること。摩毛に存在を消されたり、マモーにコピーされたり。ルパンの存在が脅かされると、本物は鏡の向こうのライバルになってしまうから。

ルパンのペルソナとして敵を想定する時、クリエイターが直面するのは「ではルパンとは何か」という大問題。大河内さんはパート5を使って(ある意味私物化して)その問題を提起したし、その結果ルパンの修行時代のライバルであり、フランス支配を目論むアルベールという新たな敵のビジョンを創造した。


「男と男の対決」は昭和や70年代漫画に見られる傾向で、「あしたのジョー」「巨人の星」などスポ根モノには必ず登場する(昨今の少年漫画でもあるかもしれないけど興味の対象外なので寡聞にして知らない)。ルパンの原作もこの時代の流れにあるかもしれない。国や組織が敵として現れても、究極の所は男同士のタイマン、人間性の勝負、生身の人間の汗臭いバトルが主役だったように思う。

パート5でルパン自身に「男には敵が必要だ」と言わせているように、バトル物の常として、ルパンにも敵を通して「男がどう生きるか」がテーマとして流れている。敵と対峙することにより自分自身が露わになる。ルパン自身の生き様が浮き彫りになる。そこがドラマの面白さ、作品の面白さであると思う。

「複製人間」はそれがとてもわかりやすかった。パート5のような演説をルパンに吐かせなくても観客は知らずに「ルパンとは何か」というテーマに引きずり込まれる。

マモーに対して自分の存在不安に陥り、摩毛狂介によって消される恐怖から不二子に泣きつく。殺し屋プーンに対して見せた不二子への捨て身の愛情。パイカルとの対決ではトリックの知恵比べ。

敵との対決によって炙り出されるルパンという男の真実。それに比べれば難攻不落を攻略したり、お姫様を助ける物語はエンターテインメントとしては最高かもしれないけど、ルパンの世界の深淵を覗けばいかに浅く表面的なものでしかないのがわかると思う。


そういえば、パンチ先生がパート5の制作に関して「シリーズを超えて残るキャラを」と言って生み出されたのがアルベールだった。ルパンの世界にはルパンの鏡となるライバルが必要だと感じたのかもしれない。

今思うとパート5の制作ではOVAを総監督したり、内容にアドバイスをしたり、これまでどんなルパンでもノータッチだった先生には珍しく関与している。死期を悟って最後に自分のルパンを伝えたかったのだろうか。

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