おべんきょう
勉強
一般的で平均的な日本人ならだいたい9年〜13年間もっとも身近に付きまとうものだ。
衣食住の三銃士に次いで、「学」を追加していいレベル。
僕は勉強は苦手な方に入ると思う。理由は3つ。
①まず教科書に書いてあることが簡略化し過ぎだと思った。1と10だけ説明して、はい!実際に解いてみよう!なんてできるわけない。無理。
②日常生活と乖離が激しくていまいちイメージができない。
例えば1000年前の出来事なんて現代と社会情勢、価値観、文化、テクノロジーが違うのが当たり前なのに、それを噛み砕いた上で頭の中に落とし込まなきゃいけない。無理。
③先生の話を集中して聞けない。
最後にして最大の理由。これは自分がクズ。
僕は中学生頃から「自分は勉強向いてないな〜」と思った。ただ、良い成績を取ると何かとお得なので戦略を変えた。
◯テスト前に根性で一夜漬けをして何から何まで全て覚える。
◯ネットや本で最低限の情報を集めてそれっぽく文章を作ればパスできるレポートというシステムに全てをかける。
これで大体乗り切れた。
僕は自分でぽんこつだと思っているけど、要所を計算で上手く渡り歩いている自覚がある。
こういうのを「不器用だけど要領が良い」って言うんだろうなー。
閑話休題
しかし、こんな姑息な生き方をしていると一つ困ることが出てくる。
テストもレポートも終われば何もかも綺麗に忘れてしまうのだ。
「あれ?勉強って意味ある?」
合理主義の極みで可愛げのないクソガキである僕がそんな結論を導き出すのに時間はかからなかった。
だけど最近、免許やら資格やらの勉強をしていく中で勉強の意味をなんとなく言語化できてきた。
それは「違和感のしおりを作る」こと。
別に全ての文言や数字を完璧に頭の中にインプットする必要はない。というかできない。
ただ、勉強の過程でなんとなく薄い情報は刷り込まれていく。
そうすると、いつかどこかで「あれ?昔勉強したけどそんな話は1回もなかったような、、、?」という具合に違和感のアンテナが作動する。
そうしたら後はちゃんとしたソースを調べなおして正解に辿り着けばいい。
そうやって違和感のしおりを頭の中にいくつも挟んでおくのが勉強の意味であり本質ではないだろうか。
わかったかい?学生時代の僕。
そして今日も人々は、違和感のしおりを作るために、テストが終わればすっからかんに忘れてしまうであろうテキストのページをめくる手を止めない。