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『レ・ミゼラブル』ヴィクトル・ユゴーについて

世界文学全集完走を目指している。6巻 ユゴーが来た。
「アレクサンドル・デュマ・ペールが尊敬していた作家」 と何かに紹介されていたから、待っていましたとばかりに読み始めた。
しかし、叙事詩の様に始まっていて読み辛く、
「良い本とは難解なものだ」というおまじないを
何度も繰り出し読み進めることとなった。
けれども、デュマはどこを尊敬していたのかという疑問は、最後には払拭される。

ユゴーは本文中に、作品について説明している。

いま読者が読んでいる本は、はじからはじまで、全体的にも部分的にも、中断、例外、欠陥があるにしても、すべて悪から善への、不正から正義への、虚偽から真実への、夜から昼への、欲望から良心への、腐敗から生命への、獣性から神への前進である。

人は誰でも疑問に思う事柄があるだろうと思うが、
挙げられる代表的なものは、ユゴーが本作品で書いた
悪・善
不正・正義
虚偽・真実
欲望・良心
腐敗・生命
などではないだろうか。
私も義務と正義が分からなかった。
辞書で調べてみた事もあった↓

それでも腑に落ちない感じが残っていた。

私にとってのレ・ミゼラブルは
ユゴーの見ている体験している時間の義務と正義を、
彼の明晰な頭脳によって何度も説明してくれるという体験だった。
ユゴーの時代と、現代の「義務」と「正義」に差異がないとしてしまう事は
乱暴だ。
只、彼が見て感じた「フランス(国家)」と「人」の中で、義務と正義がこうであったのだという事実。(物語は作り物であるが、そのまま受け取ってしまわなければ、果敢のないことだと思う)
そして、ユゴーがとんでもなく頭が良いという事を知ったのである。

本を読むことで、考えることを作者に任せてしまっていると何かに書いている人が居たが、作品を読んで作者の考えが理解出来るのならば、読者として優秀で、作者が書こうとしたものを既に自分の中に持っていた者なのではないだろうか。

レ・ミゼラブルを読んでも、
私は義務と正義について自分で考えることを放棄して、
考えること自体ををユゴーがしてくれた などと思うことが出来ない。
つまり、ユゴーが書いている事のほんの少ししか理解出来なかった。

そして、良い本はいつもそうだが、
読み終わった後、また最初から読みたくなる、レ・ミゼラブルもそういう作品だった。

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