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作文が書けない子ども

日本に帰国したての頃、作文が書けなくて困ったという話を「母国語と母語の話」の記事で少し触れましたね。

きょうは、そのつづきをお話してみたいと思います。

2歳の誕生日に渡仏して以来、8歳半までずっとフランスの現地校に通っていたわたしが、初めて日本の学校を経験したのは、帰国してから編入したとある千葉の片田舎の公立小学校でした。渡仏前に所有していた千葉のマンションに”とりあえず”住んで、家のまん前にある小学校に”とりあえず”通うことに。

親としても、生活スタイルも価値観も使用言語もまったく違う文化圏での長い海外生活を終えて帰国してから、新しい生活を創りだすのはなかなかたいへんだったと思います。当時、8歳半の小さな世界でも、色々と違和感や窮屈さを覚えたのだから、大人となるとさらに大小さまざまなハードルがたくさんあったのではないかと想像します。

特に、親の場合は「社会人としてのスタートダッシュ期」「子育て」「二人目の出産」みたいなパワフルな時期をすべてフランスで経験しているので、日本ではあまりにも勝手が違いすぎて、しんどいなと思うようなこともあったかもしれません。(具体的に聞いたことがないので、想像です。)

わたしの小学校編入話に戻します。

「フランスのパリから来た、〇〇〇彩さんです」

黒板に「フランス」「パリ」とわたしの名前を大きく書いて、先生が自分のことをクラス全員に紹介してくれました。フランスもパリもテレビでは見たことがあるけど、実在するのかどうかさえ定かでないような田舎の子供たちに向かって、その単語は刺激が強すぎたかもしれません(笑)

さっそく「ふらんすぱんから来ました~!」と、その辺の男子からふざける声があがります。

(うっわ・・・ばかじゃないの?)←わたし(笑)

日本の公立小学校とのファーストコンタクト、最悪です。軽いレベルの、帰国子女あるあるかもしれません。

しかも、その日はたしか飴色の革のショートブーツにお気に入りのリボン柄のスカート、白い丸襟のブラウスという、典型的なパリ16区の女の子な服装をして行ったような記憶があるので(普段着は、だいたいそんな感じ)、むちゃくちゃ浮いていたと思います(笑)

パリではトロカデロ広場(エッフェル塔が一望できる、あの有名な広場)が散歩の圏内だったのが、千葉の家と学校の周りはひたすら田畑。あまりにも環境激変すぎて、とまどいまくりです(笑)

トロカデロ

そして、転入初日男子のふざけた振る舞いをきっかけに、クラスの男子全員は「野蛮なサル」にしか見えなくなり(笑)、まあ小学生女児ですからね、男児よりはるかにませているので、大なり小なりそういう目線にならざるを得ないところに、帰国子女のわたし目線に写ったのは、”井の中の蛙”ならぬ"猿の群れ”、でした(笑)

そんなカオスでごちゃごちゃした背景のさなかに、作文の時間が突然やってきました。

ある日の国語の時間、先生が「はい、きょうは〇〇についての作文を書きましょう~。」

「え~!!!」(←クラスの反応)

わたしは「え~!」と反応するほどの予備知識もまったくなく、ただ「サクブンって???」とぽかんとするしかなかったのですが、先生が原稿用紙をさっさと配り始めて、みんなが何やら考えながら、さらさらとえんぴつを走らせている様子を見て、完全に置いてけぼり感をくらい、焦りました。

フランスの小学校でエッセイや詩やレポートはたくさん書いてきたけど、それとは違うんだろうか?それとも一緒?えっとえっと、フランス語だったらこうやって書き出すけど、日本語も一緒?え?あれ?文章がうまく続かない。うー。う~。ううううう。

だいたい、こんな感じだったと思います。

案の定、原稿用紙はほぼ真っ白のまま終わりましたね(笑)

それを見かねて、後日、先生が採点を終えてみんなの手元に戻した作文を、指名されたひとりのクラスメイトが自分のを読み上げてくれたので、わたしははじめて「あーーーー!そういうことね。わかった!」と、作文の性質について合点が行きました。

さすがに、子供の理解力は早いですね。それからはなんなく普通に作文が書けるようになって、先生も「いきなり作文が上手くなったね!」と褒めてくれたのですが、内心は(いや、勝手が知らなかっただけで、要領を教えてくれたらふつうに書けるって。)と、思っていましたが、言ってません(笑)

日本の小学校で指導している作文はかなり特殊な性質を持った文章で、おそらく、そのせいではじめは書けなかったのかなと、分析しています。

出来事を書いて、その時の気持ちを書いて、とりあえず未来につながりそうな結論を書いて、終わり。

日本の小学校の中学年レベルで指導している作文はだいたいこういう構造だと思うのですが、このような構造の文章を書く習慣がないと、書けません。それがいい・悪いはまた別にして、こういったコンテキストがわからないと、「できない」「書けない」ということが起こるという、帰国子女生徒には典型的な出来事だと思います。

これは個人的な感想なのですが、日本の小学校の文章指導はかなり大雑把な気がしています。自分の場合は、公立の小学校であったことと、先生の当たりハズレもある、という条件もそろっての私的な経験なので、一般化するのは微妙なところでもあるのですが、でも日本語の指導については、帰国子女に関係なく、もう少し丁寧にするべき要注意点ではないかと思っています。なぜそう思うかは、また、別の機会に書いてみたいと思います。

だからなのか、親はとにかく本をたくさん読みなさい、と耳タコで言ってきました。実際、読書は好きだったので、学校や地元の図書館に行っては本をよく読みましたし、小学校卒業のお祝いも、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』でした。(←まじめ。)そのおかげもあって、日本語の文章がきちんと書けるようになったのもあると思います。

千葉の小学校でのその後の顛末ですが、結局、夏休みを境に都内に引っ越して、学校もそれにあわせて世田谷区立の学校に転校しました。これで猿の群れとはおさらばだ〜!と思ったのも、つかの間(笑)

その話はまた、今度。

つづく






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