母国語と母語の話
帰国子女とひとことで言っても、千差万別、様々なケースがありますので、わたしの場合を少しお話しましょう。
プロフィールにもある通り、わたしはフランス(パリ)の帰国子女です。両親とも日本人で、2歳でパリの空港に降り立ち、8歳半までそこで育ちました。
その後、日本に帰国して高校まで東京で過ごしました。親の仕事の都合で、ふたたび、海外に出るであろうとずっと言われていたのですが、様々な巡りあわせで、結局日本で学校生活を全うするに至りました。大学は関西で過ごし、社会人になってから東京にふたたび戻ってきて、様々な企業を経験して、いまは都内でアートと教育事業の会社をやっています。
話を幼少期のパリに戻します。わたしが通った保育園、幼稚園、小学校はすべて現地校でした。
脳と心と体がもっとも発達する大事な幼少期すべてをパリで育ったため、わたしのアイデンティティは独特のミクスチャーで構成されています。乱暴な表現をすれば、日本人の顔をしたパリっ子で、先祖は関西人。どんなだ。とりあえず、色々がバランスよくマーブルになっています。
わたしの使用言語は、母国語が日本語で、母語はフランス語です。
ちなみに「母国語」とはわたしの国籍の公用語を指し、「母語」とはわたしが幼少期に育った環境で自然に身に着けた言語のことです。
母国語=日本語は、家の中で両親と会話するときだけという、非常に限定的な状況で使っていました。しかも、ほぼ両親の話す日本語しか知らないので、両親の母語である京都弁を話すという、むちゃくちゃレアな子供でした。
お察しの通り、当時は日本語(京都弁)の方がフランス語に比べて、圧倒的に不自由でした。保育園や学校に通い始めると、一日のうちで親と話す時間も話題も限定的です。もちろん、パリにも日本人の友人は何人かいたのですが、そんなに毎日会うわけでもなく、ましてやわたしだけ現地校に通っていたので、話す・聴く言語は圧倒的にフランス語が優勢です。数値化すると、日本語1割・フランス語9割。
しかも2歳からなので、そもそも人間として言語を覚えるところから、二ヶ国語で同時進行です。さらにそこに勉強をする、管理人さんと世間話をする、TVを観る、買い物に行く、友達と遊ぶはすべてフランス語。
そんな環境だったからこそ、わたしの母国語=日本語はたいして上達もせず、さらにずっと「京都弁」のままで、「標準語」にはならなかったという現実があったわけです。
※当時、週一で日本語の補講私塾に通っていたのですが、はっきり言って週一では焼け石に水で、あまり日本語上達には役に立っておらず、ただ、駐在員の日本人友達との再会のための和やかな時間でした(笑)
そんな子供でしたから、親とケンカをすると、早口に言葉の反射神経が追いつかず、途中で日本語からフランス語に切り替えていました。そうすると「日本語で言いなさい!」なんて、母親の怒りに油を注ぐことに(笑) 帰国子女あるあるです。
小学校3年生で帰国当初にとても困ったことがたくさんあった中で、言葉の面でもたくさんネタがあるのですが、作文が書けなかったことは、結構インパクトがありました。
そもそも作文というものを知らないので、たしか「サクブンってなんですか?」と、手を挙げて先生に聞きましたもん(笑)クラスメイト全員がぎょっとしていたんじゃないかと思います。ははは。
日常会話はそれなりにふつうにできるのに、なぜ作文が書けなかったのか。この話は自分なりに分析をしているので、また、次回にでも書いてみたいと思います。
みんながカリカリとえんぴつを走らせている時間、わたしはずっと真っ白なままの原稿用紙とにらめっこをして、本気で困惑してました(笑)
なにをどうすれば・・・・
つづく