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帰国子女の学校選び:インターナショナル・スクールに入れるかどうかの悩みどころと、正しい答えの導き方

この『帰国子女の窓から』を書こうと決めたときに、この話題は絶対に書こうと思っていました。なぜなら、帰国子女の家族は、本人も含めて漏れなくこの大問題にぶち当たって、もう本当に無茶苦茶悩むからです。

悩んだ結果の良し・悪しをざっぷり被ってしまうのは子供たち本人で、親としてもそのあたりの責任重大さを感じて、余計に悩むところだと思います。

帰国子女の場合、経済的に許される状況にあれば、日本の学校(公立・私立・国立)の他に、インターナショナル・スクール(=インター)に進学する選択肢があります。ただし、立地的に通えるインターがある場合は、です。

わたしも、小学校3年生で日本の公立小学校にひとまず編入してまもなく、実は進学先にはいくつか選択肢があると、親から聞かされました。そのきっかけは、中学受験の時でした。地元の区立中学校に絶対に行きたくなかったわたしは(その理由も帰国子女っぽいので、また、今度お話します。)、中学受験を決心しました。

「受験する先は、日本の学校か、リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京 (Lycée Franco-Japonais de Tokyo)※という選択肢があるけど、あなたはどうしたいの?」と。

※リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京は旧名、現在は東京国際フランス学園。主に、フランス語圏出身の子女や日本の帰国子女が学ぶ、幼児〜高校教育までを揃えたスクール。

自分は英語圏の帰国子女ではないので、英語教育主軸のインターナショナル・スクールは、わたしの選択肢にははじめから入っていませんでした。

親の助言は

進学先を選ぶ時に、アドバイスとして親から言われたとても大切なことがあります。それは、大人になってから本当にじわじわと効いてきている「重要ポイント」だと思うのです。

わたしが、割とバランスの取れた帰国子女として日本で活躍できているのも、ここにも由来していると言っても過言ではないかもしれません。

つまり、こういうことでした:

「日本の学校に通えば、日本人の立ち居振る舞いや考え方を自然と身に着けることができるだろう。そして、将来日本で仕事をするのなら、何かと便利なことが多いだろう。ただし、日常的に使わなくなるので、フランス語を忘れるスピードは早くなるかもしれない。自分で勉強をしないと上達はしないね。

一方で、リセ・フランコ・ジャポネに行ったら、彩が慣れ親しんだフランスの文化をベースにして、フランス語で高等教育を受け続けることができて、より高度なフランス語や学問を身につけることができる。

けれど、日本にいながらにして、日本のことをあまり知らない、あるいは日本人らしくない大人になる可能性も出てくる。友人はみな彩と同じネイティブレベルのフランス語を話すし、お互いに似た境遇のために気持ちが楽になったり、理解もスムーズだろうけど、ローカルの友人が少なくなる可能性もある。もし、将来は日本を出て海外で仕事をすることを始めから狙っているのなら、それもまたひとつのチョイスとしておおいにある。ただし、リセ・フランコ・ジャポネは日本の文科省(当時は文部省)に認可された学校ではないので、卒業と同時にバカロレアを取る必要が出てくる。そのあと日本の、あるいは、フランスやアメリカの大学などに行ってもいい。

もし、日本に興味があってこの先も日本のことを学んでいきたいと思ったり、日本で仕事をしてみたいと思うのなら、現地の学校の方がそのためのベースが整っていて有利ではある。高校を卒業したら、自動で日本の大学を受験する資格も得られる。」

おおよそこういう内容のことを言われました。10歳のわたしに、両方のケースを公平に解説してくれました。Aの場合はこう、Bの場合はこう。

恐らくいま現在、帰国子女なりたてほやほやの方にも、通じるアドバイスではないかと思います。

わたしの選んだ学校は・・・

そして、結果、わたしは日本の学校(中学・高校・大学は、すべて日本の私立)を選ぶことにしました。その選択は、間違っていなかったと思います。

というのも、いま大人として社会と関われば関わるほど、年齢が上がれば上がるほど、日本的な教養がないと話にならない場面にもの凄く遭遇しますし、相手の方が仕事においての(日本人の)重要人物であればあるほど、それはさり気ないようでいて、より強調されてきます。

ことわざで切り返す何気ないやり取り、ちょっとした冗談に交えた日本の歴史上の人物名、学校時代に聞きかじった古文や漢詩の言葉が折り混ざった日常会話など、日本で普通に教育を受けたひとにとっては当たり前すぎて、「空気を吸うように話す」ような些細なことがわからなかったりするのが、帰国子女のハンデなんです。帰国子女の場合、「わからなくて、スルーする」という悪い方に出ますね(笑)そういう、いかにも日本的なやり取りができるかどうかも、プロの仕事人として「信用を得る」要素のひとつのように感じています。

最低限の英米文学と聖書の知識がないと、英語ネイティブとの会話が成立しない時があるのは、英語を学んだ誰もが経験してきていると思います。それとまったく同じです。

古文

お正月に神社で"福引"を引く女にはなりたくない

あの時、日本の学校を選んでおいて、心底良かった。様々な帰国子女の、大人になってからの顛末を聞く時、そう思うことがどんどん増えていきました。

なんたって古文が読めるって、凄いのよ(泣)!

案の定、インターに通っていた友人達は、全員読めないですもん。そもそも、日本語の文章を読むのがしんどいという言語ベースになってしまったので、仕事の日本語書類を読むのもしんどいみたいです。そんなものだから、恐らく、古文の存在なんてもうチラリとも過ぎらないと思います。

両親とも日本人で、高校卒業までずっとアメリカで育ったA子がいます。見た目は帰国子女とわからない彼女の日本語はとてもきれいな発音なのに、時々、思いもよらないところで落とし穴にハマってました。

A子「あ、ほらほら、お正月の時にお寺だっけ?神社?とかで引くやつ。えっと、福引?」

私「・・・・・・^^; それを言うなら、おみくじね。」

インターに通えば、たしかにバイリンガルにはなりますが、福引ネタみたいに、日本語も英語も中途半端で終わります。途中まで英語でまくし立てて、わからない表現が出てくると、ひょいと日本語に切り替えます。日本語でまくし立てて、またわからない表現が出てくると、英語に切り替えます。それの繰り返しをするので、いつまで経ってもどちらの言語も磨きがかからずに止まる仕組みです。これは帰国子女あるあるの、王道ネタですね。

わたしも中学生で英語を習い始めたらほどなくしてペラペラになったので(※3ヶ国語目は吸収が早い)、インターに通う英語圏の帰国子女友達と、英語×日本語のちゃんぽんで会話をしていたのですが、それがもの凄くかっこいいことだと勘違いしてしまって、とにかく歯止めが効かなくなってしまっていました。

そしてある時「ひとつの言語で最後まで辛抱強く話せないって、相当マズイんじゃ?」とはっと気がついてから、止めました。

両親のどちらかが外国人で家の中でも英語が標準言語のひとつ、しかもこの先、日本を出て他の国に移り住む可能性が非常に高い方なら、インターはたいへん便利な選択肢で、レスキューみたいな存在です。

しかしそうでない場合、つまり両親とも日本人で外国語のレベルが正直そこまでに高くない場合は、かなりのリスクを伴います。

帰国子女のみならず、日本に住むダブルの子供たちも、悩みに悩む学校選びのお話です。

つづく







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