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「ボチボチやっています」と言えなくて。
こんにちは。日本ハンドボールリーグ(以下JHL)に所属するトヨタ紡織九州レッドトルネードのマスコット、「レットルくん」です。
(Twitter→@rettorkun)
これは僕が大学生の頃の話。
とある旅先の田舎町で、道に迷った事がある。
海外での迷子は、成人でも泣きそうになるということを知ったあの日。
地図を片手にキョロキョロする僕に、品の良い初老の人が声をかけてくれた。
「良かったら案内しましょうか?」
言葉に表すのは難しいけれど、その方は「どうぞ、どなたでもご自由にお入りください」と言わんばかりの、扉が開いているような顔というか、穏やかな風が吹くような、そんな雰囲気をお持ちの方だった。目的地までの道中、思わず僕は「何をなさっておられる方なのですか?」と聞いた。
その人は「まぁ、ボチボチやっています」と答えた。
目的地に着くと、その人はスタッフと親しげに会話を交わし、僕に「良い旅を」と言い残して去って行った。そのさり気の無さにたまりかね、僕は思わず「あの方はどなたですか?」とスタッフに尋ねた。
スタッフの方は、「町長さんです」と答えた。
ただそれだけの話だ。
ただそれだけの話をしたいがためにこのコラムを書いたのだが、今現在も、「ボチボチやっています」という言葉が、常に僕の頭の中にある。学生時代の僕にとってはかなり衝撃的な出来事だったし、それはたったの一言なのかも知れないけれど、なにか人間の風韻が鳴るようで、サラリとそう言える大人になりたいと思いながら、これまで生きてきた。
ところが現在。
僕自身がこういう風韻をもてているのかと聞かれれば、全くもって自信がない。
JHL、2021-2022シーズン。
いつからか「レットルくん」を特定しようとするフォロワーが現れた。
「#レットルくんを探せ」というハッシュタグを見つけた時は、ドキリとした。
ドキリとしたのは本当だし、当時はそんな感覚はなかったけれど、多分僕は心のどこかで、
「――僕を見付けて」
と思っていたのではないかと思うのだ。
「僕を見て」と。
「そしてもっと褒めて」と――――。
「レットルくーん!」と誰かに見付かって、大いに鼻の下を伸ばし、終始ニヤニヤしながら聞かれてもいないことをベラベラと喋り散らかす。挙句の果てに、「もー、仕方ないなぁ。SNSにはアップしないでくださいよ?」とか言って写真なんか撮っちゃって。それも、他の人たちの目に留まる場所で。
きっと心のどこかで、そうなることを望んでいたに違いない。
常にぼーっと生きている僕などは、その瞬間の自分の状態には気付かない。
シーズンが終わって一息付けるようになった今になって、数か月前の自分が理想の自分とかけ離れた状態になっていたことに、ようやく気が付くのだ。
あぁ、なんと情けない。
なりたい自分と現実の自分の間には、大なり小なり常にギャップがあって、今となっては、過去の自分のツイートを見ても恥ずかしさがつきまとう。
自分の未熟さは、他人に対しては隠し通すことはできるかも知れないし、僕なんかは、できれば悟られたくないと思っているのだけれど、それを自分自身に悟られずに生きていく事は不可能なのだ。
きっとこの先も自分の未熟さに気付く度、僕は人知れず顔を赤らめてモジモジする。モジモジして、モヤモヤして、それでも前を向いて、一歩を踏み出し、また失敗するのだろう。
そんなことを繰り返しながら、トゲトゲした剥き出しのエゴのようなものが少しずつ削れていき、なんとなく形が整っていくことが成熟なのだと信じている。
まだまだここは、道半ば。
いつの日か、自分ではなく誰か他の人、周りの人のことを第一に考えられるような、人の心に穏やかな風を吹かせられるような、聴く人にとって心地の良い風韻が鳴るような、そんな存在になるその日まで。
必死にボチボチ、誠実にやっていこうと思います。
最後に、今シーズン我がレッドトルネード、レットルくんを応援してくださったファンの皆様、本当にありがとうございました。
皆様の声援が、大きな力になりました。
心より御礼申し上げます。