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打ちひしがれたいっ!
*今年最初の文章に何を書こう?とわざわざ考えてしまうのは悪い癖でもあるんだけれど、まあちょっとばかし考えてみるかと、うーんうーんと頭をひねっていたら、ぱっと出てきた言葉が「打ちひしがれたい」というものだった。あの、最初に言っておきますが、ドMというわけじゃないですよ。
そうだ、打ちひしがれたいのだ。もっともっと打ちひしがれて、撃ち抜かれたいのだ。いい絵や、いい言葉や、いい映画や、いい漫画をたっぷりと味わったときのように。あの「うわあ……」って感覚を、もっともっと味わいたいのだ。
思えば若い頃から、打ちひしがれてばかりの人生だった。というのは言い過ぎだが、「ああ、かなわないなぁ」とちゃんと思ったことが、今のぼくを形作っているような気がする。昔、アーティストになりたいだなんて自惚れたことを思っていたけれど(恥ずかしい)、自分はむりなんだなぁと思わせてくれた人が身近にいたりした。あの体験は本当に大きい。それっぽいアーティストなんてやらにならなくて済んだのだから。
数年前、当時の恋人と一緒にモネの絵を観に行って、出口で合流して「どうだった?」と話したときのことを憶えている。僕が睡蓮の絵のことについていろいろ話した後、彼女は「車椅子のカップルがいて、その人たちがさー、絵を好きそうに見つめてたんだよね」というようなことを言った。あのときも僕はかなわないなと思ったのを憶えている。
そうだ、もっともっと、打ちひしがれたい。かなわないなぁと、天井や壁にぶち当たっていたい。そのためには、いろんなことを動かなきゃならないものなぁ。試合にも出ず、家からも出ないのに打ちひしがれることなんてそうそうない。もっともっと、いいものに頭を叩かれたい。そういう年になるといい。2025年も、よろしくお願いします。