金物屋さんでの修行

*下町のような場所に行くと何軒か、「金物屋さん」を見かけることがある。刃物とか、鉄製のものとか、主に調理器具や工具を扱っているお店だ。中には、外から見ても分かるくらいにずらっと包丁ばかりが並んでいる店もある。都会に住んでいる人は信じられないかもしれないですけど、ほんとにあるんですよ。さすがに店外に置いてあることはないけれど、ガラス張りの窓からずらっと包丁や刃物がこれ見よがしと並んでいる。

そのたびに、ぼくはそのお店の中の人のことを考えるのだ。その人はいったい、どんな心持ちでそこにいるのだろう。どんな人なんだろう。あれだけの金物に囲まれて、怖かったりしないのだろうか、と。

もう慣れているだろうから、お坊さんがずーっと正座できるみたいに、特になんとも思わないのかもしれない。けれど、例えば態度の悪いお客が入ってきたとき、一瞬、ぶっそうな考えがよぎったりしないのだろうか。これは中の人の人格をどうこうと言っているのではなく、自分のすぐ手に届く範囲に、凶器となり得るものがある空間で時間を過ごすのは、いったいどんな気持ちなんだろうと思うのね。

そりゃあもちろん、扱いには人一倍気をつけていると思うよ。でも、極端な話、むかつくようなことがあったとき、憎くてたまらないような奴が店に入ってきたとき、いわゆる「魔が差す」可能性みたいなものは、普通のお店の中よりも、モノがモノだからずいぶんあるように見える。そんな中で、どうやって自分を保っているのだろうか。

「なんだよコイツ」って思ったとき目の前に、すぐ手の届く範囲に、その相手を傷つけることのできるモノがあるわけだ。豆腐の角で頭をぶつけてほしいようなヤツが現れたとき、そのモノの方に自分が使われてしまうようなことが、ないにしても考えがよぎる、一瞬、モノの方に支配されるような感覚ってあったりするのかなぁ。

いや、何が書きたいというわけでもないんですがね、まるで修行のような場所だなぁと、ぼくは金物屋さんの前を通るたびに思うんですよ。ただの「売り物」としか思っていないのか、そんな考えがよぎることがあるのか。失礼のないように、話を聴いてみたくもあるんだよなぁ。


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