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日本語は「音」だ
*中学生ぐらいだったかなぁ、「日本語って、ものすごいんじゃね!?」と、ふと気がついたのを憶えている。いや、それは、若かりし頃の気づきなのでありますが、それでも今もすごいなぁと思ってるんだよ。日本語は「五十音」と言いますよね。「あ」から始まって「ん」で終わる五十音。ま、正確にはや行とわ行はあれだから四十六音じゃないか?というツッコミは置いておく。
でね、世界にはさまざまな言語があるわけです。英語とかスペイン語とかね。ただそれらを日本語であらわすことができるんだ!って気づいたときに、ものすごく感動したんですよ。「A」を「えー」という日本語であらわすことができる。でも「ん」は「n」であらわすかといったら、この場合は「えぬ」と呼んだりするわけじゃないですか。他の言語でもきっとそうなるでしょう。だから、日本語ってすべての言語をあらわせるんだ!と気付いたんですよね。
僕は学者じゃないので、まちがったことを言っているかもしれませんが、日本語って五十「音」なんですよ。五十「文字」とかじゃないんですよね。「音」だから、どんな言語であろうと、それを共通の「音」であらわせてしまう。なんだかそれってすごいことじゃないか!?と若かりし僕は思ったんだよなぁ。たぶんあれでもっともっと、日本語とか国語を好きになった気がする。
この「音」という感覚はおもしろい。この一文にしたって、音があるわけで、音があるということは、きっと気持ちのいいメロディラインみたいなものも存在するはずなんです。「ドレミファソラシド」みたいなね。とくに僕は、谷川俊太郎さんの詩にはこの「音」の感覚が非常に強いというか、美しく感じる。言葉の言い換えや並び以上に、心の中で音読したときの「音の並び」の綺麗さにいつもうっとりしてしまう。そういうことについて、いろいろ聴いてみたかったなぁ。
そういえば、日本語の学者の先生が「七五調ってどうしてあんなに気持ちいいんですか?」って聞かれたときに「五十音って、5つで区切られてるからじゃないかなぁ」と言ってたのを思い出した。なるほどたしかに、と思ったんだ。