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「おおきな気遣い」
*「気遣い」ということばがあります。意味はもう、分かっているでしょうから省略しますが、まあ「ホスピタリティ」なんてのも近いかもしれません。でね、この「気遣い」ということばは、「細やかな」ということばが枕につくことが多いですよね。ちいさな気遣いだとか、ささやかな、こまやかな、とか、いわゆるちょっと小分けにした、お渡ししやすいサイズでお届けしていますよ、というのが前提になっているような気がするのだ。
「これくらいの気遣いなら、あなたも気持ちよく受け取れますよね」というのが、もしかしたらその本質なのかもしれない。いわゆる、ちょっとした手土産なら受け取りやすいですが、それがもうとんでもなく高いものだったりしたら、ちょっと引いちゃいますよね。そういう、お渡ししやすいサイズにして渡す、みたいなことが、気遣いなのかもしれないな、と。
でね、じゃあ逆を考えてみたくなるんですよ。「おおきな気遣い」ってのは、どんなだ?とね。さっきの「手土産に高すぎるもの」は、大きな気遣いといえばそうなんだけど、それは相手のことを考えていないに等しいから、ちょっと違う分類にしておきたい。そう思うと、おおきな気遣いというものは、「気遣いをされていることを気づかせないもの」だったりするのかも、と思ったのだ。
これは僕がよくする例えなんだけれど、電車に乗っているとする。高齢の方が乗ってきて、席を譲る。これは「ちいさな気遣い」と言えそうです。でも、じゃあここでの「おおきな気遣い」は何だ?と考えると、「そもそも席に座らない」ことだったりするんじゃないかなぁ?そうしたちいさな気遣いを発生させない、もっと手前の「おおきな気遣い」だと言えやしないだろうか。
でね、その「おおきな気遣い」は、おおきいがゆえに、気付かれないんです。タバコを吸う人が、吸わない人と一緒に食事に行くときに、そもそも「喫煙」の店を選ばないだとか。目の前で吸わない、とかじゃなくてね。そういうおおきな気遣いが、実は気付いていないだけでちらほらあるんじゃないかなぁ、と思った。そういうところに気付ける人間に、そしてその「おおきな気遣い」ができる人間になってみたいものだ。