恐怖の大王との取引
*「心配」ってのは、僕たちが思っている以上にやっかいで、大切な感情だ。心配をきちんとしているから、避けられる事態があることも事実だし、かといって心配ばかりしてたら別の心配が枝葉のようにくっついてきたり、本当はちゃんと心配すればいいだけなのに、それにだけ心が奪われてしまう、みたいな状態にもなりうる。「適度に心配する」ことは、言うのは簡単だけれど、そのコントロールは案外むずかしいものだ。
例えば、初めて何かをやる人に対して「心配ないよ!」と声をかけすぎることは、当人が考えていなかった「心配」を生み出してしまうことでもある。子どもに「転ばないように見てるよ」と声をかけたら、転ぶことなんて考えてなかったはずなのに、頭の中にそのイメージが浮かんでしまったり。本当に大切なのは、失敗が起こらないようにすることよりも、失敗しても大丈夫だよ!と自信を持って言ってあげることなんじゃないか。心配は目的ではなく、手段のひとつであるのだ。
海外ドラマなんか見てるとよく「最悪ゲーム」みたいな遊びがありますよね。今から起こりうる最悪の事態をお互いに言い合って、「本当の本当に最悪は、こうなるね」という底辺のところを共有し合う。これも一種の心配のコントロールで、底辺を事前に共有し合うことで、ここまでは想定していたので大丈夫だと自分自身を安心させて、それについてそれ以上考えないようにする方法だ。つまり、最悪をきちんと考えることで、それ以上の心配をあきらめることに近い。
心配はときとして、そもそも持っていなかった恐怖を増大させてしまうこともある。恐怖は目に見えないので無限に増えてしまえるし、人の心はけっこう恐怖につけこまれやすい。だから「ここまで」みたいな線引きをしたりすることで、恐怖の大王と取引しておくことが大事なんだよなぁ。そのための手段が「心配すること」なんだと。「心配事がない」という状態もそれはそれで怖いし、「心配のしすぎてそれに時間を取られている」ことも健康ではない。自分にとってちょうどいい、伸びのあるプレッシャーをかけ続けることが、実はリーグ戦の人生では大事なのかもなぁ。
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