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ひとりの時間

*先日、気の置けない友人たちとの忘年会があった。今年で僕も30歳になったので、全員三十代のおじさん四人の飲み会。ひとりひとり個別で会うことは年に数上あっても、全員で集まる機会は数年ぶりだった。

それぞれ家庭を持ったり、引っ越したり、恋人と別れたりなんやかんやあったりしている。そしてそれぞれ、やりたいことがちゃんとある。ひとりは映像作家で、ひとりはミュージシャンで、ひとりはイベンターで、そして僕は作家を目指している。まだ誰も何者でもないが、それなりにきちんとやってんだな、というのを確認し合うような飲み会だった。もう数日も前のことになるが、あの日は本当に楽しかった。楽しかった以上に、勇気というか、「まだ頑張ろうな」という気持ちに近い物をもらえた気がする。そういう飲み会は年に数度ある。そういうのでなんとかかんとか、乗り切っている気があする。

大人になればなるほど、あの小学生の頃のマラソン大会のような「一緒に走ろうな」はない気がする。その声かけもなければ、実際に一緒に走るなんてことはない。横を見れば、走っている誰かがいることに気付いたりするが、それは何もペースを合わせて、共に歩んでいるわけではない。それぞれがそれぞれの場所で、孤独で、ひとりでやるしかないのだ。それが大人だ。結局何をやるにしても、ひとりでやるしかない。こつこつと、ひとりの時間に歩みを進めるしかないのだと思う。

ひとりでやるにせよ、誰かと何かをやるにせよ、結局は”ひとり”の部分がないと何もできやしないんだろうな、ということがどんどん身に染みて分かってきた。というか僕はもともと、そういうきらいがある。みんなの力が集まったときに大きくなるのは、そのひとりひとりがきちんと、孤独の時間に何かを磨いたりしているからだ。そのことをゆめゆめ忘れないでおきたい。誰かと何かをするためにも、まだまだ磨きたい。磨かれたい。その作業はきっと、いろんな人の力を借りながら、ひとりでしかできないことだ。

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