「肉声」というものについて

*さて、明日の日曜日に、京都にある「wind fall gallery」というギャラリーさんにて行われている展示のイベントに、朗読で出演します。といっても、朗読だけではなく、友人のハンドパン奏者のライブ中に、10分ほど朗読として出るのです。なので、安心してください(?)、へたっぴな朗読だろうと、その友人はほんとうに良い演奏をするので、大丈夫ですから。

じつは朗読の機会は何度かお声がけいただいてて、その度にお断りしていたんです。まず何より、恥ずかしい。し、ぼくは朗読のプロじゃないし、いくら自分が書いたものだと言えど、クオリティが保証できない。そういったところから、お断りしていたんですが、今回はまあ、いろんな縁でやることになりまして。ちょうど先日、伴奏してくれる友人と合わせていたんですが、これがよかった。想像の3倍ほど良かったので、安心しました。

演劇や舞台もそれなりに好きなもんだから、朗読も少しは聞いたことあるんだけど、今まででダントツでよかったのは、谷川俊太郎さんの朗読でした。息子さんの谷川賢作さんがビアので伴奏し、その上から詩を読む。ただ、おもしろいのが、谷川俊太郎さんもお歳だし、もちろん朗読やナレーションのプロというわけでもないから、何を言っているか分からないところが多かった。でも、それでよかったし、それがよかったんです。

ぜんぶがぜんぶ、明瞭に聞こえる必要はない。ところどころ「なんて言ったんだろう?」ってところがあってもいいじゃない。そこは空白か、もしくは自分の想像で補って、遊べばいい。谷川さんの場合は、そもそも詩が素晴らしすぎるというのはあるんだけど、あの「肉声」感がよかったんだよなー。手癖や技術じゃない、まさに「肉の声」というところ。作者が読むがゆえ、宿る何かもあるんだろうし、「読み」というよりも「声」の力に惹きこまれた。

というわけで、明日はぼくの人生初の朗読です。練習はしたけれど、もちろん上手なわけなんてないし、上手に読もうという気もできるだけ無くして臨みます。思えば、推敲しているときに声に出して読むから、ある意味やってるっちゃやってるんだけど。「肉声」というのは、映像には残らない、その場限りの共有だよねー。


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