図書の国 -白孔雀の本の旋律-
言葉というのは、面倒だ。
笑顔はもっと、めんどくさい。
窓を開け放し、そのすぐ側のソファーに寝そべった。
この部屋に染み着いた本の匂いが外のものと混ざり一層濃くなる。落ち着く。ここに越してきて1週間が経ったが、何よりこの部屋で過ごす静かな夜の時間が好きだ。夜、といっても外の時刻にあわせ館内の明かりが"夜灯"になっているだけなのだけど。
――図書の国。国がひとつの大きな図書館として繋がっているため、そう呼ばれる。ここでは様々な本が種類ごとに地区に分け納められているのだが、その数は膨大であり、奥に進めば進むほど迷宮と化す。
利用者及び国民は館内で迷子にならないように、必ずパートナーがつくのだが、それでも行方知れずになる者が後を絶たない。
(今日も収穫なしかぁ…)
もぞもぞと寝返りをうつと、肩程の長さの白髪が顔にかかる。
が、厭わず背負ってきたリュックの中を手探りし、これまた真っ白な羽の装丁が施された1冊の本を取り出した。実家から唯一持ち込んだ本だ。
自身の白髪はコンプレックスでもあったが、この本を眺めていると、白という色は本来は美しいものなのだと思えてくる。
これが孔雀の羽だと知ったのは、とある学術書を目にしたことがきっかけ
だった。
現在、孔雀の羽を装丁に用いるのは禁止されており、過去、許されていたのもほんの一時… 魔術師が一世を風靡した時代のみであるとの記載もあった。
もっと知りたくて、その著者である先生がいるこの国の大学へ進学を決めた。
『あんたねぇ、誰にでもいい子ぶる癖なんとかなさい。今に折れるわよ』
よく通る声の主は、窓際に置かれた深紅の薔薇。
薔薇だけに、言葉に少し棘がある。
「うるさいなぁ。それより、まだ何も思い出せない?先生は捕まらないし、
あなたが頼りなのよ。パートナーでしょ」
負けじと返しながら、パラパラと本をめくった。
何も書かれていない。正確には、消えてしまった、のだと思う。
昔、祖父の膝に座りながら、この本を一緒に眺めた記憶がある。
内容は覚えていないが、こんな風ではなかったはずだ。
「………」
唯一文字として残されたのは、ちょうど真ん中あたりのページ、
見開きにわたって書かれた、一行のみの五線譜と音符。
『楽譜は文章と違うし、その旋律はとても短い。情報が少なすぎるのよ』
楽譜地区で空き住居を探したのもこの本のためだ。
しかし実際、館内の楽譜はまだ一度も役立ってない。
『そもそも…、既存の楽譜に、その旋律と一致するものが存在するのかしら』
分からない。これが一体何を意味しているのか。
けれど以前友人に奏でてもらったこの旋律は、とても悲しい調べに感じた。
『あたし、この本は意図的に何かを隠してる気がするの。“危険”の匂いが微かにするわ』
隠そうとした真実。
それでも隠しきれなくて、言葉ではなく、旋律として語られた何か。
言葉というのは面倒だ。記号的なくせに、伝わりすぎるから。
だから、本当に言いたいことはいつも曖昧にしてしまう。
でも本当に面倒なのは、そうやって規制をかける自分の心だ。
偽り、嘘をつくことだ。
この本も同じだとしたら。
―― でも、だからこそ。
青い夜に沈んだ部屋。
橙の灯と、黄色と緑の硝子傘を通して壁に映る明かり。本の匂い。
くよくよしても仕方ない。
珈琲でも入れよう。白いお砂糖とミルクを溶かして甘く、甘くして。
沈んだ夜の闇だからこそ、私たちの白色は、きっときれいに見えるのだと、
そう思うのです。