誰もやってないことをやること
誰もやったことのないことをやる時、そしてやり終えた後、どんな心境なのだろうかと考える。周りからは、すごい人だとか、変わった人だとか見えるのかもしれないが、当の本人はいったいどう思っているのだろう。
先の世界陸上で、田中希実選手は、800m、1500m、5000mの3種目に出場した。1つ出るだけでも大変なのに、3つである。もともとは1500mが得意な選手だが、短いほうの800m、長いほうの5000m。通ずるところはあるのかもしれないが、それぞれ専門種目といえる距離である。
東京五輪の1500mで日本記録と決勝の入賞を果たした彼女であるから、今回も期待されたし、自分としてももっと高みを目指したかったであろう。ただ、激闘の1年後でもあったので、モチベーションの点も含めて、どこまでベストパフォーマンスが出せるのだろうかとも思った。
選手たるもの、目に見えて見える結果がほしいのは当然のことだろう。しかし、思ったような結果がいつも付いてくるわけでもない。本人が語るように悔し涙なのか、結果が出ないもどかしさからの涙なのか。涙の理由を整理しようと思ってもなかなか難しいのだと思う。
この記事ではオランダのハッサン選手からのメッセージについても触れられている。彼女も田中選手と同じく多種目にエントリーし、東京五輪では華々しい成績を収めた。今回のオレゴンは調整不足もあってメダル獲得とはならなかったが、本人はそれも当然の結果だと言わんばかりのコメントだった。
自分のほかに誰かが同じように挑戦していることに対して、ハッサン選手は嬉しそうだった。それは自分と同じような仲間を見つけた喜びとでもいうべきか。ハッサン選手も、田中選手も、孤独なのだと思う。好きでそうなったわけではないが、誰かと違うことをやろうとすると、共感者がいなくなってしまうのはある種、必然だ。それをわかってはいるものの、結果が出ない時に共感してもらえる人がいないのはやはり辛い。
未知の領域に行くということは、孤独に耐える時間を乗り越えることなのだと思う。そして、一度そこに来てしまったら後戻りはできない(戻っても満足感を得られない自分がいるだけ)。誰もやったことのないことをやるというのはそういうことなのだと思うし、そういう覚悟が必要ということだ。ハッサン選手や田中選手の歩みから、わたしたちはそういう部分を学ばせてもらえる。