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楽をしたい生き物

あの松本人志が怒っている。"あの"と書いたのは、この人は怒りでなくて笑いでどうにかしたいタイプだと私は思っているので、彼があのような言葉遣いをするということは、相当頭に来ているのだろう。

この記事では、視聴率の違いについて書かれている。視聴率の指標には、世帯視聴率と個人視聴率があって、昔は世帯のほうを使っていた。しかし、それだと現代では実態を表せないから個人視聴率を導入しましょうね、ということだ。そして、松本人志が「バカライター」呼ばわりした記事は、世帯視聴率の低さを煽った内容であった。

ネットニュースでは「○○の視聴率がx.y%」のように、単に(世帯)視聴率だけを報道する記事をたまに見かける。前評判の高かった番組が低視聴率だったら、もうそれを揶揄するような記事が躍る。記者の格好の餌食になってしまうわけだ。失敗を報道すればビュー数が簡単に稼げる(と、引用した記事でも言っている)。ネガティブなニュースに飛びつくのは、人間の性。簡単に稼げるなら、そっちを選択してしまうというわけだ。

最近、ある人が言っていたのだが、人間(の精神)にも脆弱性がある。性善説・性悪説、ではなくて、ただ単純に楽をしたいほうに流れてしまう性質があるのではないか、と。このネットニュースを書いた記者もそうだろうし、あるいはこうやってnoteに投稿している自分自身もそうかもしれない。ビュー数が伸びる=たくさんの人が見てくれていれば、やはり快感だと思うし、それが一種の続けるモチベーションになっているのは紛れもない事実だ。しかし、それを求めすぎてしまうと、ただ数字を伸ばしたいだけの内容ばかりになってしまう。それじゃ、記事を書いてる理由っていったい何?となる。たとえ、数字は伸びなかったとしても、自分なりに納得した内容を送り出していれば、それ自体が次に繋がるはずだ。生業でやっている人は、(数字を伸ばさねばならないという)プレッシャーがあるのだろうが、やはり元々は何か伝えたいことがあって、その仕事に就いたはず。

「楽」に流されないようにするのは、時に辛く険しい。しかし、一時の楽を求めて逃げてしまってはダメだと、自分を律することに価値があると思う。

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