当たり前が当たり前でなくなる時
今日は鉄道関連の気になるニュースを2つほど。1つ目は、滋賀県で交通税の導入が検討されているという話だ。様々な企業努力が続けられても、赤字路線の存続は現実的に難しくなってきている。
もちろん対象は鉄道に限らずバスなどもそうだと思うが、利用する人だけの負担(運賃)では、どうしようもなくなってきているということだ。利用しないのにお金を払うなんて…と思いがちだが、もし、公共交通機関がなくなってしまったら、学生や車を持たない人など、困る人が続出するだろう。車を持っている人だって、今まで運転しなかった層が運転することで渋滞を引き起こしかねないし、決して他人事ではないといえる。
生活に必要なものは皆で支える、という考え方をしなければならない時代がすぐそこまで来ているのだろう。
2つ目は、JRの駅から時計が消えているという話。
たかが時計を…と思ったが、どうやらこの時計はかなり高度な機能を有しているようで、通常の電波時計とは異なり、自動で時刻を修正することができるそうだ。スマホを持つ人が増えたから撤去するという説明をしているそうだが、どうも固定費削減が本当のところらしい。このご時世で、鉄道の収入は減る一方で、不必要な費用を切り詰めなければならないところまで来てしまっている、ということだ。
今まで当たり前だったと思っていたことは、当たり前ではなく、誰かの努力によって賄われていたということだろう。社会基盤を支えるものの有難さ、そしてこれからどう変わっていくのかを見ていきたい案件である。
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