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言い訳―ナイツ塙のM-1考察録―

先日書いたこの文章で無料版の紹介をした。最初から買うつもりだったけど、試し読みがこんなにできる本も珍しいので3冊分ダウンロードした。結論から言えば、その必要は無かった。ちゃんと買って読んだほうがよい。別にこの本の回し者でも何でもないが、それくらい面白い内容であった。

M-1の本流は上方漫才の特徴である「しゃべくり漫才」である。4分間の短い時間にたくさんのネタを入れ込む。そのネタの原動力は怒りである。怒りは最もシンプルに観客の心に入り込みやすい。関東の芸人が受け入れられないのは、怒りを表現するのに適した言葉でないから、ということもある。

東京は日本の首都であるが、地方からの移住者で出来上がった街でもある。それぞれの地方から混ざり合った言葉、それが関東言葉となっているのだ。誰しも聞き取りやすく、また諍いが起きないように感情が読み取られにくいように変化していった。だから逆に、感情をストレートに表現することは不向きなのである。

しかし、そんな関東の芸人でも革命を起こしたコンビがいる。一組は南海キャンディーズである。山ちゃんこと山里亮太さんは名演出家で、しずちゃんと舞台上で自由に輝かせていた。そして、それらを優しく包み込むような言葉(しかも一言)で回収する。関東の言葉だからこそできる芸当である。

もう一組はオードリー。「ズレ漫才」によって見ている人たちに多大なるインパクトを与えた。全くかみ合ってないし、予定調和でもない。塙さんはそれを"ジャズ"と表現した。この辺の言葉の選択もお見事である。彼らはアクシデントさえも笑いに変えてしまう。即興演奏はジャズの真骨頂である。

塙さんのM-1考察は留まることを知らないが、とにかくお笑いが好きで好きでたまらないという人が書いた本なのだろうと感じた。なぜ面白いのか、なぜ面白くないのか。具体的な例を出して説明し切っている。

究極には、笑いは人間性であるという。その人がそこにいるだけで面白い。大河ドラマ「いだてん」にも登場した古今亭志ん生、高座に上がって寝ているだけなのに観客からは笑いが溢れていた。その人を見ているだけで面白い、それは本当に究極の理想だが、そこに行き着くまでには芸を磨かねばいけない。

人間性を本当に出せるのは、人生の終盤戦のことなのだろう。だから、それまでは芸(技術とも言い換えられる)の向上に努めるべきで、一生懸命作り込まなければならないのだ。何もそれはお笑いに限ったことではなく、我々も自分のやっていること(仕事や家事、その他種々の活動)に対して、そういうつもりで取り組む。そうすると、いつかどこかで花開くときが来るかもしれない。

本の最後には、塙さんがM-1決勝の舞台で初めて「ウケた」エピソードが書かれている。こんなにも真剣に取り組んでいたのだな、だからこのような本が書けるのかと、納得する終わり方であった。

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