
令和7年2月28日(金) 友引 戊辰

真崎大将が陸相官邸表門に着いた時、反乱軍の磯部浅一らから、「閣下、統帥権干犯の賊軍を討つために蹶起しました。状況を御存じでありますか?」と聞かれて「とうとうやったか。お前たちの心はようくわかっとる」と答えている。(「軍国日本の興亡」 猪木正道 中公新書)
これは、いまから89年前の2月26日の出来事。この真崎発言は、多くの本で紹介されているが、全く分かろうとしなかったのは反乱軍が信奉する昭和天皇で、当時の陸軍首脳が右往左往する中で、天皇の厳命により反乱軍は鎮圧され首謀者は処分された。「朕が股肱の老臣を殺戮す、かくの如き兇暴の将校等、その精神においても、何の恕すべきものありや」と、反乱軍を一切認めない昭和天皇の姿勢は鮮明だったことが知られている。
89年後のほぼ同じ時期に、政界では「分かる」発言が波紋を呼び、真崎発言を巡る経緯を思い出してしまった次第。
今年は「昭和100年」。この二・二六事件はあまり話題にならなかったけど、昭和戦前期と現状が、重なっている部分が多くなってきたと感じる今日この頃であります。