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自害欲

どうも。
この記事では2年前の自殺未遂をした経験について語りたいと思います。
今回は自殺企画に至った心情〜一回目の自殺未遂(首吊り)について。



⚠️この記事は自殺、自傷行為を進めるものではありません。

・恵まれた環境と狂った自分

まず私の家庭環境や自分のことについて話します。

家庭環境:非常に良いと思う。両親と仲良く今も他愛ない話や、母親とは大好きなぬいぐるみで毎日お人形遊びをする。
大人になってもぬいぐるみ遊びは大切ですよ、癒しです。
父親とも他愛ない話や肩をもんだり良好な関係。
でも受験のストレスのひとつの原因が父親だったりするが
妹2人も姉の私にべったりで愛されていると思います。

友人関係や学校環境:良い、友人には恵まれている。
自殺未遂前からの友人は小学生や幼稚園からの中で友人に精神疾患などは無く健全な遊びや話をしたり共通の趣味があったりして良い関係。
病気や性的指向をカミングアウトした中でも離れず変わらず接してくれている。

自殺未遂後、高校からの友人は定時制に通っているからか精神疾患を持っていたり同じような境遇、性的指向の子が多い為よく共感できる話や相談ができるのでとても助かっている。
ただ、同じく自傷行為、odなどをしている友人もいるので悪い意味で影響されないように、しないようにしていきたい。

自分の話:自殺未遂前までは平凡で平穏な生活をしている女子だったと思う。
幼い頃は常にひとり遊びで口も聞かない、小学二年生の頃、個人面談で担任から「発達障害があるかもしれないから検査した方がいいのではないか」と言われるなどのエピソードや
小学二年生から四年生ぐらいにかけていじめに遭うなどはあったが、それ以外はごく普通の女子である。
ちなみに中学二年生からリストカットを始めた。まぁコレはよくある事だと思うが、軽い気持ちから始めた自傷行為が今も依存になっているので後悔。

・受験期の出来事

自殺未遂に至る最大の原因だと思う。
特にレベルの高い高校へ行けと言い付けられた訳ではなく、ごく普通の公立高校を目指していた。
しかしその、ごく普通が私には難しいようだった。
辛いと言い出せず学校レベルを下げたり私立へ行くのも申し訳なく感じて勉強を続けていた。

特に父親が私の出来なさに危機感を覚えたのか塾に通わせる日数や時間もどんどん増やしていき、父親と顔が会う度に「勉強しろ」と言われていた記憶がある。

中3の秋頃、先の分からない毎日勉強の日々に恐怖と逃げたさを強く覚えるようになった。
周りの受験生もこの気持ちを乗り越えてきたのだろうか、私は耐えられなかった。

寒くなったその時期、パッと頭に「逃げたいなら死ねばいいんだ!」という考えが浮かぶ。
その考えは当時の自分にとって革命的でとても良い名案であった。
そして何故か「死ぬのは痛くて怖い」という考えが「死ぬのが楽しみ、どうやって死のうか」という死ぬのがポジティブな思考になった。(←この考えが出たらほんとにヤバい気がする)

その日から毎日のように死に方を調べ首吊りを知り、学校や塾から帰る度にYahoo知恵袋に潜って首吊りの方法を調べた。
どこにロープをかけようか、森の木で首を吊ろうか、首を吊ったあとは排泄物など垂れ流しになるので浣腸剤やオムツを買ったりした。
今思うと死ぬことを考えることで現実逃避になっていたのかな、なんて思う。
完全自殺マニュアルとかいう本があるが、あれもいつでも死ねるという安心感や現実逃避から買う人が多いのかもしれない。

・首吊りを実行

非定型だが夜、ダンボールを尻に敷き、ベランダの手すりに妹の縄跳び(麻縄タイプ)をかけ1晩かけて首を吊ってみた
グググッと体重をかけると皮膚が痛み、頭が痛くなってふわふわしてくる。
苦しくは無い。
何度も体重をかけ試すが上手くいかず
朝になった頃やっと意識が飛びそうになったが母親の私を呼ぶ声で目が覚め、バレないように縄を片付けた。

2回目は大晦日、年が開けるまでには死のう!という強い意志があったが失敗。





死ぬ事を考えてる時ってアドレナリンが沢山出てくる。
それも1種の快楽だったかも?
当時は楽しかったみたいです。今思えば早く相談しろ!!って思うけど。

今日はここまで、また続き書きます。

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