技術で浮き彫りになる本質
どうもれたすです。
ちょっと最近novelaiを使っていて、思う事を駄文で書き連ねるだけ。
最近のAIは絵の習得という点についてはプロンプトと観察眼が発達してる方においては人間の作り出したものと全く遜色ないレベルのものが出来上がってきてるように見える。特にAIイラストコンテストに載せられているようなもの、最早芸術的である。
だが、評価されるとなると別問題なのだなと思う事がある。一般の人が素晴らしいAIイラストを生成して投稿する、仮に全く同じAIイラストを著名な人が投稿するとどうなるか。当然著名な人が載せたほうが評価されるだろう。当然人の目によく映るからという理由もあるだろう。だが、結局人は結果ではなく過程を求めるものなのだろうと最近は思う。
先日、ある出来事があって深く実感した。この前下町風情にあふれる中華屋さんにいって味噌ラーメンを食べた。味噌ラーメンはもちろん普通に美味しかったが、それ以上に80歳後半にもなろう店の店主が腰を折りながら少しおぼつかない様子ではあるが、それでもテキパキと迷いなく料理をしてる様子を見た。それを見て若い頃の家庭やその店の歴史などを感じてしまった。普通に美味しい味噌ラーメンがなんかこうエモい感じに思った。この過程が無ければ何も感じないんだろうなと思った。
これはAIイラストにも通ずる事で、イラストが美麗に簡単に生成できる事でその人の過程、生き様というものがより鮮明に浮き彫りになっている気がします。AIによって人間の本質が見え隠れしてる気がして面白いです。
前年になってキャンプなんかもこの過程を重んじる人間の本質的な部分が見え隠れしてしたブームなのかなと思います。
効率、結果重視合理的などの言葉より過程を見せていくというのが1番人間の心を引きつけるのだろう。
AIによって美麗なイラストを生成してる方や今結果が出ない方でも、今やってるその活動こそが過程となり人々を活動を惹きつけるのだろうと思います。
イラストを書く人はより顕著にこの変化が訪れる気がします。
これが良いのか悪いのかは置いといて、最近novelaiを触っていて思う事でした。
ほなまた。