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発達障害といわれてきたこどもたち、そしてその親たちへ


「発達障害」
私は、いま50代で
いま、子育てまっただ中の親達が
この言葉を使ったり、または聞いてきたかは
よくわからないのですが

私が我が子たちを育てていた
いわゆる「学校生活」時代は
我が子たちは、「発達障害」といわれていた
属性に属していました。

今思うと
非常に「疑問」に感じる点はいくつかあるのですが
そのころは、私もいわゆる「普通にしていたい」
人間だったので
周囲の子供たちと違う点を見つけては心配し
調べたり、相談したりして
「発達支援教室」に3人の我が子を
それぞれ連れて通っていました。

我が子に「普通でない」部分を見出し
それを「普通に近づけたい」「矯正したい」と
思っていたのです。
そして、世の中もそのような思いを支持していたように思います。


「普通である」

ということの「意味」がわかった今では
「普通でない」ということの「意味」と
素晴らしさ✨がわかります。
どうして人々が「普通」にこだわるのか
「普通」に見える人が多いのか
「普通」でありたい、と思うのか
その意味も今ならわかります。
そして、今の私は
あえて「普通でない」選択をし
「普通でない」生き方をしようとしています。


ですから
振り返ってみると
私の我が子たちは
ほんとうに、私にとって意味のある
かけがえのない、協力者であり教師であり
ともに助け合い成長する仲間なのです(*^^*)


このまえ
ある話を耳にしました

あるお母さんが
子供が幼稚園で先生に
「いい子にしてね」と言われたそうです。
その子は「いい子ってどんな子?」と
お母さんに尋ねたそうです。

まだ
幼稚園、保育園、学校などでは
そのように「いい子にしてね」という
教育なのですね・・

その子の疑問はもっともです。
「いい子」ってどんな子なんでしょう?
幼稚園、保育園、学校、しいては会社までも
「いい子」というのは
” 規則を守り逸脱しない子”
” みんなに合わせて行動でき、輪を乱さない子”
” 指導している者の言うことをすぐに聞ける子”
” お友達と仲良くしわがままを言わない子”
こんな子供たちなのではないでしょうか?

「いい子」という概念がある限り
「悪い子」という概念も生まれます。
「悪い子」というのは
上記のような特徴に当てはまらない子、ということになります。

私たち親世代も
ずっと、このような「いい子」「悪い子」の
教育体制の中で育ってきたわけで
そのような私たちだからこそ
我が子を「いい子」にしたいと思うし
「いい親」でありたいと思うし、今でも自分は
「いい子」でありたいと思うのは当たり前なのです。


でも

このような「いい子」は
「扱いやすい子」「都合の良い子」
「管理しやすい子」
ですよね。

ほんとうに、この世界の仕組み
「管理する側」と「される側」
「支配する側」と「される側」
長い時間をかけて巧妙に刷り込んでいく
支配構造


子供たちの素直な声に耳を傾けて
「いい子って、いったいどんな子なんだろう?」
「私の思ういい子とは?」
「いい子も悪い子もあるのか?」
「いい子にならなきゃいけないのか?」
「いったい私たちってなんなのだろう?」
と考えてみよう。

私たち親より
子どもの方がより純粋で染まっていない。
そんな子供たちの声を聴こう。
そんな子供たちをよく見てみよう。
子供たちから教えてもらおう。

もし我が子に
「普通でない」部分を見つけたら
それは「宝物✨」かもしれない🙌
それそのまま、その子の「意味」であり
「才能」であり、「役割」であるかもしれない。

「普通」に合わせることは必要なのか
「普通」に矯正しなければならないのか
「普通」ってどういうこと?
「普通」って素晴らしいの?

よく考えなければならない。


私たち親から
変わらなければならない
自分がされてきたこと、してきたことを
子供たちにもしていいのか
自分は「正しい」という考えや
自分の親は「正しい」という考えや
社会は「正しい」という考えや
そもそも、「正しさ」にこだわる自分がいないか。

我が子をありのままに受け入れたいなら
まず自分もありのままに受け入れなくてはならない。
それができなくては、たぶん
我が子をありのままに受け入れるなんてできないと私は思う。


親のやるべき事
子供のためにしてやれる事とは

”より自分を見つめ直し、反省し
常に自分自身を高め成長させること”

自分自身を今より常に幸せにしていけば
必ず我が子にも伝わる
影響が出る。
お互いに幸せになる✨


「発達障害」はゆえに
「障害」ではなく
「発達の特徴」とでも云うべき

誰でも、完全に発達している人などいなく
「未発達」の部分を持っていると感じる。
ある部分は「未発達」でも
他の部分で誰よりも「発達」しているところもあるのではないか。
そうやって、個人的にバランス✨をとっているに違いない。

とっても普通に見える人は
すべてがある程度そこそこにできる人。
発達障害に見える人は
できない部分とできる部分の差が大きくて
それでバランスをとってる人。
なのかもしれない。

どちらが良くてどちらが悪いということでもなく
それぞれにこの地球上での役割があるというだけのこと。

だから矯正しなくても
ちゃんとその人なりの在り方で、生き方で
役割をもって、生きていけるはずなんだと思うんだ。


もし「発達障害」と言われている
お子さんを持っている親がいたら
まず、親がその子を「希望の子」「可能性の子」として尊敬心を持つこと。
そんな「希望と可能性」を持つ子がやってきた、私は素晴らしい👏✨と自分を褒め、認め、自信と誇りを持つこと。

かつて
「こんな子を産んでしまった・・」と
自分を責めていた、私が
ここまで成長するのを助けてくれた我が子に感謝して伝えたい。

周りの人に我が子のことを
「お前が何とかしろ」
と言われ続けてきた私だけど

その言葉は
「まずはあなたが変わりなさい」
と言われていたのだと受け取ります。
そして
そのように言う、誰かにも
「まずは自分を何とかしてください」
と言いたいと思います。


起こることの
すべてに意味があって
必要ないことなど何も無く
いつも必要なことが起こってくる


そのことを
いつも自分自身に忘れないように☺✨

⇡⇡
少し前に書いた記事だけど
まだ「青い」感じがする(笑)😂
私も日々成長中✨
そのことを実感します(*^^*)

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