言ってはいけないことってあるのか?
最近、身の回りで
「許せない」ということを言う人が多い。
誰かに対して、「許せない」ということだ。
私がそういうことを経験しているということは
まだ、私の中に「許せない」ことがあるのか
私の中の何かが、私に「許して欲しい」
と思っているか。
そういうことなんじゃないかな?
と思う。
「許す」
って、人間の取得する技術の中で
” 最高難易度 ”
なんじゃないかと思う🤔
私は
今回の夏至で、またひとつ
許せる自分が増えて(*^^*)
さらに楽に安心に幸せになった☺✨
「許せない」ものが多いほど
窮屈でイライラして、心は落ち着かない。
ということが、身をもって分かる。
でもこれは
許せるようになってきて初めてわかることで
「許せない」世界に浸りまくっている時は
” 許したら自分がもっと楽で幸せになる ”
なんて知らないし、思えないんだと思う。
どんな人でも
知ってること、知らないことがあって
それで自分の世界が出来てるだけで
知らないことは、知ろうとしてみないと
(知るための行動をしてみないと)
ずっと知ることはできないんだよね。
「勝ち負け」の世界で生きていると
「勝ち負け」の価値観だから
「許せない」ことを許してしまうと
自分が負けた気になるのかもしれない。
実際、過去の自分はそうだったと思う。
だんだん知ることが増えてくると
「勝ち負け」なんてないんだ。
すべて自分の意識の問題で
良いも悪いも本当は無くて自分が勝手に決めてるだけで
勝ってる負けてるも、そもそも何が基準なんだ?
見方によってどうにでもなるわけで。
あえて「勝ち負け」の価値観で言うなら
私の中では
「許し」たほうが勝ち👑🏆
たぶん
「許す」ことが増えると
「許せない」人は周りにやってこなくなる。
自分に「許せない」ものがあるから
「許せない」ものを見せられてるんだから。
だから、
「許せない」と思った時は
” なんで自分はそれを許せないのか ”
って考えたほうがいいけど
多くの人は
「許せない~😡」という感情に浸りきるから
どんどんどんどん許せなくなっていくんだよね。
「普通許せなくない?」
も無いし
「普通言わないよね?」
も無いし
「あの人普通じゃないよね?」
も無いし
もういいかげん、
「普通」という言葉は無くそう(笑)
もう、「普通」が通用しない世界に行こう
「そういえば、昔、普通って言葉あったと思うけど、どんな意味だったっけ? 懐かしいよね😆」
てなろう。
「言ってはいけないことを言う人」が
許せないなら
「言ってはいけないこと」が自分の中にあるということ。
「言ってはいけないこと」を「言わない」のが良いことで
自分は「良い人」でありたいということ。
この世の中に
「言ってはいけないこと」って
あるのかな?
いったい、誰が誰に
禁止するんだろう?
「言ってはいけないこと」を言う人は
素晴らしいプレゼント🎁なんじゃないかな?
あらゆるジャッジや固定概念に対して
疑問を投げかける存在として
大変な役割をやってくれてるんじゃないかな?
「言ってはいけないことを言う人」は
「人間」からは避難されても
もしかしたら神の大いなる目から見たら
ご褒美に値する存在なんじゃないかな?
かといって
私が言ってはいけないことを言う人になるかというとどうだろう?
言ってはいけないことがわからなくなったら
言ってはいけないことが無くなったら
そのことを言っていてもわからないのだから
傍から見たら
言ってはいけないことを言う人になってるのかもしれない😁
それでも
自分が幸せなら✨
いいじゃない?