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欧州縦断記行 なんて素敵なクロアチア 

成田空港から、ロシアのモスクワ、クロアチアのザグレブを経由して、
スタート地点のドヴロヴニクへ。

さらっと書いたけど乗り継ぎ2回だし、モスクワでの乗り継ぎ時間なんて
18時間もあった。なんもないし暇だし疲れたけど、
当時ハタチの小僧のわくわくパワーには全然どうってことなかった。

そしてザグレブは乗り継ぎのみなので、空港から出ていません。
「旅行目線だと首都って微妙じゃない?」病にかかっていたので、
旅行中も経路上にある首都以外はわりとスルーしてます。笑

ザグレブの空港。このかわいいプロペラ機でドヴロヴニクへ。

ドヴロヴニクは、というかクロアチアの半分はアドリア海沿岸。
降りてちょっとバスで走ると、もういつキキがニシンのパイを運んできてもおかしくない風景。

バスからドヴロヴニク旧市街が見えた瞬間。バスが湧いた

ヨーロッパが人生初めてで、ヨーロッパで初めて訪れた町がドヴロヴニク。
脳内はずっと「海の見える街」が流れてました。笑

この時は7月、クロアチアは観光のベストシーズンで、確かに旧市街へ向かうバスは満員だった。
そしてドヴロヴニクは欧州では当時から超有名な観光地。
これを知らなかったことで初日から泣きを見ることに。。笑

旧市街へ入るための門。めっちゃ人いた

まるで中世の町をそのまま残したような、城壁に囲まれた港町。
男二人、テンションが上がりすぎて当時の日記帳が「やばい、すごい」とかそんなんばっかり。日記に書く内容かよ。笑
でも本当に街並みが素晴らしくて、ちょっとこっそり涙拭いた記憶がある。


絵描きのおじ。最初の町じゃなかったら買ってた。
アドリア海と屋根のコントラストすき


建物の統一感

治安も本当に良くて、夢中で街を練り歩いた。
城壁にも登れるんだけど、それは翌日の話。

赤と白のパラソルの下で、ドライフルーツ売ってるマダムがいたり、
港で釣りを嗜むナイスミドルがいたり。素敵なところだ。

へとへとになるまで歩いて、そろそろ宿を探すことに。
今考えたら信じられないんだけど日中ずっとバックパック装備してた。
若さってやべーな。

ホテルA「no vacancy」(空いてないよw)
ホテルB「fully booked」(予約いっぱいだよw)
ホテルC「no room」(部屋ないよw)

え・・・。

フロントさん達に笑顔で追い返され、
初日からまさかのホテルなし。

そう、ドヴロヴニクのホットシーズンを舐めていたというか認識していなかった。まさに若さ故の過ち。笑

乗り継ぎ2回して、やっと街について、浮かれてホテルを後回しにして
街歩きしまくっていた男二人、ここで現実に直面。途方にくれました。笑

困り果てながら、ホテルっぽいところにトライを続けたけど
探すところもよくなかったのか全然空いてない。

もう夕方も深くなって、夜がはじまりそうな頃。
シスターの服を着たおばあが話しかけてきた。

でもモンハン語(わかります?w)みたいで
何言ってるか1ミリもわからなかった。
「フンニャペッチャパッタ」みたいな。笑

もう訳わかんないし疲れてたし、
なんかついてこい、みたいな感じになってたから、
シスターおばあの後ろを二人でついていきました。

何分か歩くと、教会的な場所に。
「泊まるとこねんだろ?ここで寝ていけ。」
※シスターおばあはモンハン語なので心意気翻訳。

寝室と、シャワーの場所を教えてもらった。
本当に疲れていたから、ジェスチャーと言葉でたくさん感謝した。

ホテル予約してないのは自業自得。
ただ自分たちが浅はかだったことで招いたことなのに、
このやさしさはなんだろう。
教会ってそういうところなの?

後でちゃんと調べたら、そこは修道院だったようです。
朝起きた後にあったシスターおばあは神に見えた。

聖シスターおばあ修道院。奥がその人。


修道院にはぶどうがあった。めっちゃすっぱかった。

結局、ドヴロヴニク在中はずっとこの修道院にお世話になりました。
宗教あったけえと思った人生初の経験でした。
たぶん寄付用の箱があって、少なかったかもしれないけど二人分の宿泊費を入れておきました!

つづく。

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