常識という枠組みから逃れる為に必要なこと
僕は常識という言葉が嫌いである。
「なにそれ、おいしいの?」
と言いたくなるレベルでは嫌いだ。
よく、本や動画、はたまたテレビでも、あなたの常識は大丈夫?みたいな番組や、一般常識についての本などもあるくらい、世の中は常識に拘る。
とっても汚い言葉になってしまって申し訳ないのだが、「アホかよ」といつも思っている。
常識に縛られ、同じような考え、行動をする人間に魅力なんてあるのだろうか。
人は、色んな考えや個性があるから面白いものであって、皆んな同じでいいのであれば、もはや人間である必要すらないと僕は思っている。
しかしここで勘違いをしてほしくないことがある。
最近はこうやっていう人が少しずつ増えてきている印象は受けるのだが、大多数の人が大きな間違いを犯している。
常識から外れて、突飛な行動をして許されるのは、常識をわかっているから出来ることである。
バカの一つ覚えのように、「常識なんかしるか!そんなもんダセェ!俺は常識なんかに捉われねぇぞ!」と、喚き散らす人が本当に増えたように感じるが、1番ダサいのは言っている本人である。特大のブーメランを投げていることに気付いてほしいと思う。
批判することや反対することは良いことでも悪いことでもないと思うが、もし批判や反対をするのならば、ちゃんと論理的に、何故批判や反対をするのかという明確な理論を持つべきである。
そして、その反対や批判することに固執するのではなく、相手の理論や言葉に納得出来る部分があるならば、柔軟に対応し自分をアップデートする必要がある。
自分を貫くこともカッコいいことではあるが、間違いは間違いであると認め、アップデートした形の自分を貫けば良いだけだ。
変化を恐れてはならない
自分が絶対と思ってはならない
常識が絶対とも思わない
でも自分を信じる
一見矛盾しているが、僕はこれをとても大事にしている。
初めは常識を学び、その中で違和感を覚えたことがあるならば、ちゃんと理解した上で、そこは従わない。
しかし、従わなかったことに間違いがあるならば、迅速に変化する
そうすれば、常に常識を学びながら非常識になっていき、変化することを恐れることもなく、自分を信じてあげることが出来る。
世の中は、こうあるべきだ!こうしなきゃ!という物は法律に反さない限りは自由である。
常識を学び、常識から外れてみよう。