頑固な癖して、1日で意見を変えたりする人
はい、僕です。僕のことです。
僕は自分でも、他人からも認められるほどの頑固者である。
個人的に頑固であることは悪いことだとはあまり思わない。
そこに辿り着くまでに、紆余曲折があり、色々な事が重なった結果、そうなってしまったか、そうならざるを得ない事があったのだと思う。
僕の父なんかは頑固の塊である。もしかしたら、それを見て育ったからなのかもしれない。母も頑固だ。しかし、2人に共通することは、たまに柔軟に対応する所だ。
もしかしたら、頑固者は共通して自分の中で府に落ちることがあれば変わるのは早いのかもしれない。
人生とは不思議なもので、無意識にそんな人達が集まるようになっている。
いつどこであった人達でも、今も繋がりがある人は、皆共通して頑固である。
しかし、ここまで書いてきてふと思ったことがある。
頑固の反対である、柔軟も捉え方一つでは頑固なんではなかろうか。
どちらにも共通して、好きなことや、やりたい事、自分の意思を貫いているんじゃないのだろうか。
柔軟に動く人は、一つの事に捉われるのが嫌いで、自分の思うように自由に行動する。という意思を貫いているし、頑固と呼ばれる人は言うまでもない。
どちらも自分という生き方と反対の人を見れば、「頑固者は話が通じない」ともなれば、「芯がなくフラフラしている」とも言われる。
多くの人はフラットであることが普通だと思っているが、どちらにも振り切っている人からすれば、「普通が1番つまらん」となる。
本当に不思議なもんである。
日本にしかいたことがないから、日本のことしかわからないが、少なくとも日本はフラットが正義であるように感じる。
別に大きくわけた、3つのどこに属してもそれぞれの正義がある訳だが、なかなかどうして混ざり合うことはあまりない。
そしてまた書いていて思ったことがある。←(何を書くか、どう書くかをその時に思いついたことを書く為、こんなことが起こる)
僕は多分どこにも属していて、どこにも属していない。
1番フラフラしているのは、僕自身だったのかもしれない。(なんか嫌な終わり方)