「信じる者は救われる」
出典:https://showon-sato.com/index.php?cID=86&magazine_no=494
昨日、神社へ参拝してきました。
神様やサムシンググレートと呼ばれる存在に畏敬の念を持ち、参拝すると、全てのことが神様のおかげで、自分に都合よく成り立っているんだ、と思えるようになります。
つまり、感謝のアンテナが立つ!
と言う内容を、以前記事にました。
(興味を持ってくださいましたら、過去記事 こちら をご覧ください。)
今日、妻と何気ないことで喧嘩してしまいました。
本当にちょっとしたすれ違い。
その時の妻の態度に腹を立ててしまったのです。
私は妻の立場に立てず、
妻の心で感じることができず、
妻を責める態度で接してしまいました。
「なぜわかってくれないんだ」
「こちらにだって都合があるのに」
お互いに「わかってくれないんだったら、もういいよ」と、相手を突き放してしまいます。本心は相手に一番の理解者であってほしいんです。だからこそ、理解してくれない相手を責めてしまう。
本当なら、相手を責める前にグッとこらえて、相手を尊重できる心の在り方が必要なのだと思います。どうしたらできるのでしょうか?
私の周りを見ると、長子よりも次子の方が、相手を尊重する心の在り方に優れていると思います。ちなみに、私と妻は二人とも長子です。
例えば、私の長子が、駄々をこねる時は、「なんでわかってくれないの」とその場で泣き喚き散らかします。相手が理解してくれて、手を差し伸べてくれるのを待つタイプです。
一方、次子が、駄々をこねる時は、行動することで強引に手に入れようとします。それが上手くいかない時に助けを求めて泣き喚きます。自らほしいものを掴みに行くタイプです。
どちらかといえば、ほしい結果を実現させる、という点において、
次子の方が、主体的です。
しかし、まだ相手を尊重をしている、とまでは言えないです。
もし、次子が相手を尊重することができたならば、私の弟のようになります。どういうことか、私と弟を比較してお話します。
私は長子で、母とぶつかることが多いです。なぜならば、母は自分の価値観で私を裁き、コントロールしようとするからです。そんな時、決まって私は「母は、何もわかっていない。もう関らないでほしい。」と突き放します。
一方、弟は、そんな母の気持ちを尊重し、お互いに心地よい関係を築いています。ある時、弟に聞きました。「なぜ、母が明らかに筋の通らない母の要求を、言う通りにできるんだい?どうやって自分を納得させているのかい?」
弟が教えてくれたことは「母が示した選択肢の中から、無理やり自分にとって都合のいいことを探すんだよ。」ということでした。当時の私は、「そうか、確かに自分にとって都合のいいことは少しはあるかもな。。。でも、筋の通らないことは許せない。」とその発言の真意がわかりませんでした。
しかし、今ならわかります。弟が教えてくれた、相手を尊重する秘訣は、「自分のこだわりや執着よりも、神様の意思を信じる」こと。つまり、運がいい、と信じること。そう思うことができれば、妻とのすれ違いも「これは神様の思し召しかもしれない」と思い直し、妻を尊重して、自分の心も納得させることができます。
このことに気づけたのはきっと、昨日神社へお参りに行ったから、神様が気づかせてくれたに違いありません。
神社へお参りをすると、上手くいったことは全て「神様のおかげだ、ありがたい。」と思えるようになります。逆に、上手くいかないと思えたことでも全て「神様がこちらの方がいいと教えてくれているんだ、ありがたい。」と思えるようになります。
そう考えると、全ての事象が自分にとって都合がいい、と解釈できるようになります。明らかに人生の景色が変わります。どの宗教にも入信していないですが、「信仰」とはこういうことを指すのだと思います。これからも神様への畏敬の念を大切にし、感謝できる日々を送っていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今日もあなたにとって良いことが雪崩のごとく起こりますように!