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高くトんで
こんちはっ!どうもからなし‥‥でっす!
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※2023/3/17加筆及び修正しております。
「夫婦別姓」について今回は語ろうと思う。
色々議論はされているこの話題である。
現在の時代は多様性の時代である。
そこに一意見として投げ入れてみようと思う。
とは言っても少し尖った見方をしてみての話しです。
私個人の意見ですが
立ち位置を言わせてもらいます。
「自由にしたら?」
です。
![](https://assets.st-note.com/img/1661367381612-vMMN6vaok0.jpg?width=1200)
【問いはトおおい】
なぜ「自由にしたら?」と思うのか
それは“現代の氏姓“と“氏姓制度が出来た飛鳥時代の氏“とは意味が違い過ぎるからです。
前者を新しい価値観、後者を古い価値観と定義することが出来るでしょう。
つまり現代日本人は新しい価値観の社会で生きていることになります。
それにはいくつか理由があるかと思います。
・明治時代に市民が氏を名乗れる様になったこと
・戸籍制度が近代の法によって運用され始めたこと
・天皇が象徴になったこと
・戦後に家制度などが無くなったこと
・核家族化が進んだこと
・結婚の価値観が変化したこと
これらを踏まえた上で新しい価値観の元、夫婦別姓の「氏」の意義は如何様にもなるのではないかと
私は思う訳です。
何せ歴史が浅いという点で“「新しい価値観」=現代日本人の氏の扱い方“ですから
個人的には「自由」でいいのではと思う訳です。
ここで1つ、皆さんに問いを投げかけたいと思います。
これが解決出来るなら別姓もいいんじゃないかなと思います。
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これは夫婦別姓ですね、問題ないですね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82930259/picture_pc_fc746051976e0179e3fbaa6941f06ef7.png?width=1200)
これは子供が居た場合の図です。
ここには大いに議論の余地がありそうです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85329905/picture_pc_2e2fd99ae899cbd5c39cc82c3d9aaac5.png?width=1200)
これは少し拡大した図です。
①は1つ前の図の家庭という事です。
つまり私達という立ち位置でも良いかと思います。
こう見ると私達ですら幾らかの選択しうる姓があるのがわかりますね。
さて、制度上の問題?をここから考えてみましょう。
(考えるべき問題というか)
よく言われるのは婚姻の際の行政の手続きとか要するに変更に付随する事象という訳です。
そこで仕組みとして考えるべきは
選択肢に制限を設けるのかという所です。
例えば①の夫ならば高橋と石田の選択権が発生します。
なので当然変更する権利、回数に拠らない変更の権利というのが発生するかと思います。
また婚姻関係である妻の姓も選択的に範囲内に適用されるべきであるとも考えられます。
ではその子供はどのようになるのでしょうか。
両親から姓を継承し選択出来る権利があるならば、当然両親が選択可能な姓の選択権も子供は有するべきではないのかと考えます。
つまり婚姻という制度を継続すると
個人に対する姓の選択権における選択肢が拡大し続ける事になります。
こうなってしまうと余計に行政が戸籍を管理するのが困難になるのではないかと思います。
ただしTwitterなどで散見する意見としては
・婚姻の際の選択であり両親の姓は問題としない
・子供は両親のどちらかの姓を強制的に付与するが後の変更は可とする
・あくまで現在の姓を使い続けること(婚姻前の物を含め)
というのが一般的な選択的夫婦別姓論である
私が考えるに議論すべき視点は2つなのでないかと思います。
・個人の権利とプライバシーを含めた事象を土台とした自由
・子供を含めた選択肢と権利
個人で見た場合には選択的であることは何ら問題がないように思います。
子供を含めた場合(視点を変えれば自分と両親)だと複雑化してしまいます。
権利は拡大しすぎると既存の仕組みを破壊しかねないですし、拡大したものを組み込むには規制を設けなくてはいけなくなります。
そういう議論が必要なのではないかと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1661367566040-IEcusYd92n.jpg?width=1200)
【必要なのはヒトツヨウ】
さてそもそもを実は考えていない事にお気づきでしょうか。
それは
結婚て何だ
という事です。
私は述べる前に示しました。
「新しい価値観」であると
今現在継続している日本という国で行われている結婚という仕組みは
古来より続いてきた“家”というものが形骸化し中身が変わってしまった“何か”でしかありません。
その1つに姓がある訳です。
つまり続いてきたものに対しての“何か”を引っ張って論じている事に違和感しかありません。
少し考えてみてください。
結婚式は儀式ではなくパレードの様なイベントです。
夫婦という関係性は経済的な世帯とそれを担うパートナー契約です。
義両親はパートナーの家族であり自らの家族という認識ではありません。
子供の姓の継承に家名を継ぐという感覚ではなくあくまで社会生活において便宜上必要とされる要素(悪い言い方をすればアクセサリー)でしかありません。
再婚、離婚は恥ずかしいことではなくなりました。(不倫や托卵も多分)
これだけでも明らかに違うというのがわかります。
そして
今の時代最も優先されるべき主義とは「個人」です。
さらに言えば個人を取り巻く権利を絶対の自由とする事です。
それが尊重された状態であります。
(その代わり最大限に聖人であることを社会は課しているように思いますが気のせいでしょう)
よく選択的夫婦別姓に賛成している方はこう言います。
「今の日本の状態はグローバル化されていない」
と
確かにこれから先の日本はグローバル化を基にSDGsに取り組むでしょう。
「新しい価値観」はその変化についていける可能性があります。
それはいい事かもしれません。
でもなぜ反対する人がいるのでしょう?
感覚的に拒絶感があるからでしょうか?
それはきっと形骸化してでも続けてきた説明できない昔の物を繋いでいくという意識があるのかなと個人的には思います。
その証拠に正月には初詣をするし夏には茅の輪潜りをするし、大晦日だってあるし、節句だってする。
結婚だって包むものには必ず結び切りの水引をして渡すし、お葬式だってするし奇数の年には回忌参りをする。
なんでそれをしているのか解らないがそれには意味があって風習となっていることを理解している。
それと同じように“家”というものにも意味があると知っているのです。
言ってしまえば今の日本は曖昧な文化の変化をしている様な時期です。
だからアンケートでは解らないとかどちらでもいいが多くなっているのではないかなと、そう思ってしまいます。
「新しい価値観」の元では姓はどうにでもなると私が述べたのには
そういう変化の時期であり180°文化に付随した価値観を転換しなくてはいけないという事です。
これからの日本というものを含めてそれが求められると考えます。
姓に関しては変化してしまっています。
賛成派反対派の双方においてそれは言えます。
結婚は婚儀であり儀式だと主張する人間がどれほど居るでしょうか、考えなくとも解ります。
なので本当に議論すべきは「姓の自由化」なのです。
考えてみればどうして両親の姓を強制的に名乗らさせられているのでしょうか?
その現状がおかしいと思いませんか?
そもそも現代社会の問題として
毒親とか親ガチャという言葉が定着していること、DVの問題、モラハラなどの問題、夫婦間での家事育児の問題、義実家との折り合いの問題、育児によるキャリアの問題
などなどがあります。
どこの家庭でも必ずある話しだとは思います。
家族や家庭という形そのものが機能として体をなしてはいない様になっています。
姓に家族性を持たせるのはもはや破綻した理論になってきているのが実状であるのは間違いないと言えます。
極論ですが姓に意味はないという事です。
正しくは現代に生きる人間が姓に意味を付与することが出来ないのです。
言い続けた「形骸化した」という言葉も正しくは「現代社会に生きる人間が形骸化させた」という事になります。
日本は敗戦国で色々なものを失っていますしそこから急激に立ち直っています。
いわば作り直した状態です、戦後100年も経っていません。
それが間違いのない事実なはずです。
そういった状態の中からの姓なのですから。
話しは逸れましたが
これからの姓とはどういうものがいいか考えてみました。
数十年も経たないうちに選択的夫婦別姓という物自体が時代錯誤になる可能性が大いにあります。
なので権利としての自由化は必須な項目だと考えます。
そこでこの様な案を考えました。
・姓は自由に名乗って良い
・ミドルネームも許可される
・名も変更が可能である
・変更に対する回数に制限は設けない
・プライバシーに配慮して通称(偽名)の複数所持と使用の許可
ここら辺が時代を配慮した落とし所なのでないかなと思います。
大事になってくるのはそれを行政が管理出来るのかどうかです。
現行の物では難しいと思いますが、ハンコレス化、ペーパーレス化が進むならば当然に電子化は成されるでしょう。
インターネットで簡単に申請と処理が出来る時代が来るでしょう。
そこでこれらの案は如何でしょうか。
・個人の証明に個々人をナンバリングする
・マイクロチップの義務化、もしくはマイナンバーカード所持の義務化
・使用した名前の記録は必ず残る、通称も別枠で管理される
・子供は出生時に遺伝子検査を実施
出自は隠せなくなり科学的な証拠のみだけで非常に合理的であると考えます。
また個人が番号であるので同姓同名であっても混乱を防げます。
特に子供に関しては托卵の可能性を排除できます。
法的な根拠として離婚における親権の争議や相続の際に提出が可能です。
ミドルネームも使用できるので外国人との結婚の障害も取り除くことが出来ます。
選択的夫婦別姓を議論するより名前を自由化する方が未来的だと思いますが賛成派の方はどうでしょうか。
親から姓を押し付けられることもなく、パートナーにも押し付けられることもなく、子供に押し付けることも無くなります。
こちらの方が多様性があると私は思います。
という意見はある立ち位置で見た時には出来るのですが
私個人からすると選択的夫婦別姓も姓の自由化も反対です。
その話しはプライベートを含むので有料の範囲にさせていただきますが見て頂いてから姓とは何なのか賛成派も反対派も考えていただきたいです。
端的に言ってしまえば
「古い価値観」を守っている者を否定して捨てる覚悟があるのかということです。
↓ウェブ版はこちらから
https://note.com/resound_no_color/n/n3935dabf5df7
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