Nonviolent(非暴力)とは?(探求・究中)
「非暴力」という言葉について書く前にまず…
私が学んでいるものの一つに、Nonviolent Communication(非暴力コミュニケーション)があります。
NVCと略されたり、日本語では共感(的)コミュニケーションと呼ばれることもあります。(英語では思いやりコミュニケーション=compassionate communicationと呼ばれることもあります)
このNVCには、観察、感情、ニーズ、リクエストという4つの要素(OFNR)があり、観察は過去のことが多いのですが(注1)、感情、ニーズは「今この瞬間」にフォーカスを当て、リクエストも「今この瞬間にできること(先の話であれば、今この瞬間にその意図があるか)を尋ねる」ので、マインドフルネスに通じる要素もあります。
注1:「今この瞬間、未来のことを考えると」というふうに自分の中で起こっていることを観察することも可能なので「多い」としました。
そして、この4つの要素を表現する時に、できるだけ肯定文でコミュニケーションします。
感情なら「悲しくない」ではなく「寂しい」などと、そうで「ある」ことを表現します。
そして、リクエストでは、「明確で、肯定文で、今すぐ、実行可能」という要素を意識します。
なぜNonがついているのか?
その「肯定文でのコミュニケーションの型」を推奨しているNVCのNが否定形の「Non」であることは、私の中でずっと謎でした。
語源は、ガンジーも目指していた「アヒムサ(アヒンサー)」という言葉で、NVC創始者のマーシャルが後に「非」がついている名称にしたことを残念がっていた、という説と、ユーモアたっぷりに残念がっていたけれど実は意図的にこの言葉を選んだ、という説を聞いたことがあって、その辺りも気になっていました。
そうしたら、先日、ミキ・カシュタンさんのコーチングセッションの中で、ミキが言ったことがすごく腑に落ちたので、忘備録と、今後またこれに関して何か思いついたり発見したり知ったり学んだりした時に見返すための忘備録として書き記しておきます。
「私もずっとなぜ『非暴力』なのかについてはいろいろ調べたり考察したりして、今は私なりの腑に落ちる説明ができるようになった」と言った上で、ミキが言ったのは以下の通り。
注2:さらに、これを聞いて私は、「アヒンサー」の「ヒンサー」が「生物を傷つけたり殺したりする」ことを指し、「ア」は「そうではない」を指す。そして、「あらゆる生物を傷つけたり殺したりしないことを意味する」と言われているが、人間が(そして他の動植物も)「『いかなる生物も傷つけたり殺したりしない』で生存することは可能なのだろうか?」と考えたときに、たまたまそうである植物は存在するかもしれないけれど、ほぼ不可能ではないか?と考えました。それで、「人間を超越した状態」でもあり、「どんなもの(砂、石、岩、水、風なども含む)にも不可能=どんなものも超越した」とも言えるのではないか?と考えています。これについては今後も探求・究しようと思っています。
注3:これかなりくだらなく聞こえるかもしれないけれど、日本語でも「危ない」という言葉があって「ない」がついているけれど否定語ではないですよね。私が受け取っているのはそんなくらいにくっついている、そんなイメージです。(ちなみに「危ない」の「ない」は意味を強める形容詞的接尾語だそう)
注4:サンクスリット語で「愛」を意味するアヴェラは、直訳すると「憎しみを持たないこと」だそうです。
ミキにとっての非暴力とは?
さらにこの話(参加者さんとの対話の一部)の中で、もう一つ「なるほど!」と思ったことがあるのでそれもシェアします。
泣けてきませんか?
はぁ〜。ミキの「なぜ非暴力か」、というのとこの「非暴力とは」に心がかなり動いたので、書き記したくなり、こうして無事に書き終えてホッとしております。
私にとって大切な注意書き
ここに書いたのは、「ミキの」だったり「私の」だったりで、「宇宙の真理(the truth)」ではありません。
特に私の考えについては、あくまでも探求・究中のものです。
取り扱いにご注意ください🙏