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ある仮説。上昇気流に乗る人?の共通項

前回の記事で、私が企画プロデューサーとしてグランドデザインしている新感覚プロジェクト "即興芸術シアターSHAKE CIRCUS" の一人一宇宙の受け止めについてご紹介しました。その中に、ある一定数の人の受け止めに共通項を見出したので、今回はそのことについて書きたいと思います。


自由だから面白い

まず、大前提として、受け止めが自由なことは、色彩が豊かで本当に素晴らしいことだと感じます。もちろん、人間ですから、批判的なコメントをいただくと、心が揺らぐこともあります。幸い、SHAKE CIRCUSに参加してくださる方々の批判的コメントは、"良い悪い"、"正しい間違っている"という極論というより、SHAKE CIRCUSに最適解を見つけてほしいという親切心からの健全で客観的なコメントです。そして、どんなコメントも、採用するかしないかは我々の選択です。

受け止めを野放しにすること

今回のSHAKE CIRCUSは、私とゆっこで練りに練った実験的プロジェクトです。その中の特徴の一つに、「受け止めをコントロールしない」というのがあります。「そんなの当たり前でしょ?」と思うかもしれませんが、ビジネスやエンタメの世界には、"こうしたら喜ぶでしょ?"、"これが欲しいんでしょ?"という感じで、感覚感情設計がなされているのを感じることがあります。

「何を渡せるか?」とか「何を持って帰ってもらうか?」という観客の受け止め方や感覚感情を予め決めて設計するプロジェクトもありますが、今回は、意図的に、受け止めを野放しにしています。持って帰るものでさえ来場castが選ぶという、観客の意思を尊重した自由度の高いプロジェクトに仕立てたかったのです。

長い間、"結果・成果・評価" の中で生きてきた私たち。「目的」や「意味」を先に考えて設計することに慣れていますから、受け止めを野放しにすることの自由さや相手の力を信じ尊重することを頭ではわかっていても、それってどういう感じ?というのが身体化されているかというと懐疑的です。

プロジェクトに参加してくれた人に喜んでほしいと思うのは当然です。でも、だからと言って、相手の顔色を窺ってご機嫌を取るような偽善は失礼極まりないし、そもそも、「こうしたら喜ぶよね?」と相手の気持ちを勝手に決めつけるのもしっくりこない。

我々の誠実なバイブスをそのままに、参加者に歩み寄り、でも参加者の気持ちを勝手に決めつけない。参加者の純粋な感覚感情を尊重し、参加者に受け止めを委ねる。それを前提にプロジェクトのグランドデザインをしています。デザインしたことを具現化していると、想定外のいろんなことが巻き起こります。やっぱり、地球にいる限り、鍵は"実体験”だなぁ、とあらためて感じます。

上昇気流に乗る人の共通項

いささか横道に逸れてしまったので本題に戻ります。前の記事で書いた、私の個人的な主観で、「上昇気流に乗るイメージが湧く人」の共通項についてです。

観察していて浮かんだ言葉は、「遊び力」という共通項です。
SHAKE CIRCUSは、受け取る力、感じる力が高めの方が多く参加してくれます。そこに「遊び力」が加わると、上昇気流に乗るイメージが湧くようなのです。

場を共に創ろうとする「遊ぶことへのコミットメント???」とでも言いましょうか。

コミットメントと言うと、何だか堅苦しく聞こえるかもしれませんが、例えばこんな感じで、大きく分けると、下記の2つのケースが見られます。

  • 「SHAKE CIRCUSってよくわかんないけど来てあげたよ。何して楽しませてくれるのかな?」と言う感じで、完全にお客さんと化して受け身で口を開けて待っているケース。

  • 「何だか全然わかんないけど面白そう!何が起こるんだろう?」と、遊ぶ気前提で参加するケース。

SHAKE CIRCUSの楽しみ方に正解はありません。どちらのケースも大歓迎です。

興味深いのが、前者のケースは、何が面白いのかよくわからなくてポカンとしたり、首を傾げたり、眉を顰めたりと言う表情をしてくれます。

後者のケースは、場の振えに参画した面白さを、各々のタイミングで、各々異なる表情で物語ってくれます。

SHAKE CIRCUSでは、とことん内側の感覚を味わってもらうべく、感想のシェアはしないことをお勧めしています。すぐに言葉にしてしまうと、抜け落ちてしまう感覚があるかもしれないからです。ですので、前後いずれのケースとも、表情から窺う情報だけですが。

敢えて発語しない環境で振動数を可視化するゆっこは、言葉以外の何かを受け取って筆と戯れ表現します。面白いことに、後者の遊ぶ気をもって参加した人が多ければ多いほど、ゆっこのパフォーマンスも、結果として現れる絵も、軽やかに躍動します。使う色も、描かれる線も、全然違うのです。

遊ぶ気があって参加すると言うのは、前のめりのギラギラした遊ぶ気満々とも違うし、ワークショップのように皆んなでワイワイ体験シェアしよう、と言うのとも違うんです。

うまく表現できませんが、スンッとしているわけでも愛想を振り撒くわけでもなく、静かな熱さと笑みが滲み出ていて、総じて軽やかと言いましょうか。

等身大の自分、自然体の自分で、自分の意思で、能動的にSHAKE CIRCUSに参画する遊びを面白がっているような感じです。

いやはや。
「遊び力」の強弱によって振動数が変わるのも、やってみなければわからなかったSHAKE CIRCUSの面白い現象です。

これは、日常でも出会う現象かもしれません。人の内側から出てくる活力が多ければ多いほど、場は軽やかに活性する。等身大の自分を受け入れ、自然体でいる人が多ければ多いほど、居やすくリラックスした雰囲気になる。人間て、なんて面白いんでしょう!

次回は、「遊び力」の新定義について書いてみたいと思います。