ワカルことで、人はカワル。
アラサー、”13歳のハローワーク”を読む。
2023年10月5日に放送された「カンブリア宮殿」にて、プラントハンターの仕事術が紹介されていたが、番組の後半で村上龍氏が子どものための職業図鑑として手がけた「13歳のハローワーク」に興味が湧き、アラサー大学生の分際で、平日の昼間に図書館の児童書コーナーを物色して借りに行った。
新版を借りたため、カンブリア宮殿で紹介された「プラントハンター」がトップではなくなっていたものの、純粋に自分の知らない世界がどんなものかを知りたい好奇心から借りたため、目的は満たせている。
番組で紹介された版と同じでないことは、大きな問題ではなかったが、大きくて分厚い本を借りてから、ネット上に最新版のデータが閲覧できると知って、返却するのが億劫になっている。
https://13hw.com/home/index.html
さて、我々は多感な中高生の時期に、受験という名の通過儀礼によって、自身の進路が形作られていくが、この時期に見ている世界など、生活圏+@で興味持った範囲と、狭く偏ったものと言わざるを得ず、そんな時期に否応にも進路を決めなければならないのは、些か酷ではないかと今になって思う。
その選択肢を狭めないために、大人たちは勉強して良い成績を取るように仕向け、普通高校よりは進学校。高卒よりは大卒と言った具合で、判断を3年、4年と先送りしている訳である。
しかし、実家が太いとかでない限り、どこかで独立して生計を立てるために、社会に出る必要があり、その際に職業を選択する必要がある。その年齢が15歳過ぎなのか、18歳過ぎなのか、22歳過ぎなのかの違いでしかなく、いつか職業を決めなければならないなら、多くの選択肢を知ることは、早いに越したことはない。
基本姿勢は自分に「向いている仕事」
よく、意識高い系自己啓発書で、「好き」×「得意」の円が重なる部分が天職である的な薄っぺらい内容を目にする。ものによってはそこに社会貢献的な要素を追加した、3つの円になっているパターンも見かける。
そして、自分は何が「好き」で、何が「得意」なのか。それを通じて「何をしたい」のかを知るために、まずは「自分探し」をしましょう的な内容に落ち着き、科学的根拠や中身があるのかないのか定かではない、ゆるふわメソッドを読んでは、その場限りのやる気が出た気になっては、変わらぬ日常を繰り返す。
しかし、村上龍氏は「新13歳のハローワーク」の長い序文にある、「自分探し」というムダの副題とともに、自分なんか探しても答えなどないのだから、今生きているこの広い世界を知ることの方がはるかに重要と、バッサリ切り捨てている。
彼自身が小説を書くことはあまり好きではないものの、作家としていくらでも集中することができて、努力も苦痛と感じず、それでいて飽きることもない。これを「向いていること」と定義し、向いている仕事の方が、結果として充足感を得たり、成功する可能性も大きくなる持論が展開されている。
あくまでも「好き」は広い世界を知る入口でしかなく、「得意」だとしても飽きてしまえば継続することができない。だからこそ、独立して生計を立てるなら、自分に「向いている仕事」をした方が良いというのが、13歳のハローワークの基本姿勢となっている。
どう生きるかを決める目安は28歳。
そんな序文を読みながら、パラパラと興味の赴くままに職業図鑑を眺めていたが、冒頭に紹介した「プラントハンター」は掲載されていても、私が経験した「駅係員」という職業は掲載されていなかった。
そうかと思えば「機関車運転士」と「電車運転士」が掲載されている。動力源が蒸気か電気かの違いから運転免許は異なるものの、線路上にある鉄の塊を動かす意味でやっていることは大差ない上、電気機関車なら両方に当てはまる。
つまり、本書は漏れやダブりのある職業図鑑だと留意すべきだが、それらを踏まえた上で序文の職業を決める年齢の件を読むと、20代はキャリア形成に固執するよりも、あれこれ試すべきではないかと、ドロップアウトした分際で考えさせられた。
私は中学時代に、理科の物理計算に苦手意識がなく、むしろ算出した答えの近似値が現実に存在する数学との違いから、飽きなかったため、電気を学べる工業高校に進学。
教育ローンの抵抗感と、大学は苦手な外国語が必修な点から就職を選んだ。電気工事士の資格も取ったものの、待遇面で電鉄会社を選んだため、運転士になるまで電気の知識が生かされることはなかった。
数年掛かりでようやく、それが活かせる状態となったのも束の間。現場は決められたことを決められた通りにやるだけの単純作業で、すぐに飽きた。
毎日ひたすら同じことの繰り返し。自己研鑽しようが怠惰だろうが、差のない人事評価。何を言うかではなく、誰が言うかで決まる共産主義染みた組織で努力できるはずもなく、やがて作業そのものが苦痛と感じるまでに悪化した。
自分には向かない仕事を継続した結果、20代半ばで内臓を悪くして入院、手術。そして退職。全てを白紙にした今、本書で言うところの、ネット株式トレーダーが最も近い仕事と言えるのかも知れない。
株取引は好きで始めたと言うよりも、残業なし手取り13万円の「お前が終わってんよ!」状態から、労力を割かずにお金を得るため手段を一通り試し、残ったのが株取引だけで、財テクなど興味すらなかった。
工業高校の出自で、金融や経済の知識は皆無だったが、算出した答えの近似値が現実に存在する物理に似ていたことから、これらを学ぶ努力は苦痛と感じず、学がないなりに集中できて、飽きることもなく日商簿記やFP技能士の2級が取れるレベルの知識を、社会に出てから身につけた。
これが「向いている」仕事なのかも知れないが、ソクラテスの「無知の知」そのもので、知らないものを知らなければ、「向いている」仕事に出会うこともない。
だからこそ、知らないことを知っている前提で、幅広い知識を身につけ、視野が広くなって初めて、自分がどうやって生きていくのかが「分かり」、なりたい未来に向けて「変わる」一歩となるのだろう。
本書の「将来的に、自分に向いている仕事がきっとあるはずだ」と心のどこかで強く思う必要性を強く感じた瞬間だった。鉄道員という生き方に何年も費やしてしまい、じきに職業を決める目安の年齢に達するが、ネット株式トレーダー以外に「向いている」仕事があるのか、今一度、悪あがきしてみようと思い、それもまた変化である。