弁護士「幸せ 少し いただきます」?Oxford留学記①
1.自己紹介
初めまして!ハローパンダと申します。私は日本の大学を卒業後、縁あってイギリスのオックスフォード大学に進学しました。このnoteでは、これまでの私のノウハウや留学先での経験について発信していきます。
私のOxfordでの所属は'MSc in Law and Finance (MLF)'という、ビジネススクールと法学部が共同で運営している非常に珍しいコースです。カリキュラムは以下の通りで、学生は法学系科目とファイナンス系科目をだいたい半分ずつ履修し、一年間(イギリスの修士課程の標準的な修了期間)で修了することとなっています。(下図はhttps://www.law.ox.ac.uk/MLFより引用)
このコースは、既に法学のバックグラウンドがある学生や法律実務家に対し、法学に加えてファイナンスやLaw & Economics(注)の知見も伝授し、現実の経済的活動、特に経済的取引に対する鋭敏な分析力を身につけさせることを目的としています。もともとOxfordのシステムやLaw & Economicsに強い関心があり、将来企業法務弁護士としてのキャリアを考えている自分にとってここは理想的な環境であろうと考え、私はこのコースに進学しました。
(注) 効率的な法制度の在り方を、経済学などの分野の知見を用いて分析する学問分野のこと。日本語では「法と経済学」と呼ばれる。
2. ビジネスローヤーの存在意義とは?- Gilson(1984) 'Value Creation by Business Lawyers'について
さて、初回となる本稿では、今私がオックスフォードで学んでいる内容について、'Law and Economics of Corporate Transactions (LECT)'という必修科目から一つ簡単に御紹介します。(上記カリキュラム図を参照)
この科目では、これまでの学生の法学的バックグラウンドや必修の'First Principles of Financial Economics'・'Finance'で学んだ内容を踏まえて、現実の様々な取引を、伝統的な法学とはひと味違った経済的観点から大局的に分析していきます。LECTは第二学期(Hilary term)から始まる科目であるため、私もまだ数回しか授業を受けられていませんが、既に非常に興味深く、このコースに進学した意義を強く感じられています。
まず、この科目はいきなり具体的な取引の分析に入る前に、「そもそも経済的取引に関わる弁護士(ビジネスローヤー)は何らかの付加価値を社会にもたらしているのか?」という問いからスタートします。(このような根本的な問いからスタートするのは、イギリスの大学、特にOxfordやCambridgeのような伝統校に典型的な教育であるように思われます。それが果たして本当に意味のある教育手法であるかについては、批判的に分析する必要があると私は思いますが。)
経済的取引において弁護士は、当事者を代理して交渉し、取引の法的な構造を設定し、契約を締結するといった役割を担っています。シンプルな観察の下では、このような役割を担う弁護士は単に「取引から生じる経済的付加価値(パイ)を当事者に分配している」、さらに言えば「有限のパイから自分の依頼者の取り分を出来るだけ分捕ってあげている」に過ぎないのでは?とも考えられます。仮にそうだとすれば、ビジネスローヤーは何ら付加価値を生み出さない無益な存在であるばかりか、報酬の分だけ、本来当事者たちが得るべきパイを縮小させていることになります。経済学の用語を用いれば、「ビジネスローヤーの介在は当事者にとってパレート非効率的」というわけです。このような観察の下では、弁護士は「取引への寄生虫」にすぎないのでは無いか、というシニカルな見方さえ出来てしまうように思えます。
'In an extreme version, business lawyers are perceived as evil
sorcerers who use their special skills and professional magic to relieve clients of their possessions.'
極端な見方では、ビジネスローヤーとはその特殊技能、専門知の魔法を使ってクライアントの財産をせしめる邪悪な魔術師のようなものだ、と受け止められている。
'Value Creation by Business Lawyers: Legal Skills and Asset Pricing'より引用
この疑問に対し、経済的取引にかかわる弁護士の有益性を主張した有名な論文に、Ronald J. Gilsonによる'Value Creation by Business Lawyers: Legal Skills and Asset Pricing'があります。この論文は、Law and Economicsと呼ばれる分野のアプローチ(特に、当時はまだ最新鋭のイノベーションであったファイナンス理論の知見)を用いて、ビジネスローヤーの存在意義を明快に基礎づけてくれています。最初に、Gilsonはビジネスローヤーが付加価値を生んでいると言えるための要件を次のように提示します。
'If what a business lawyer does has value, a transaction must be worth more, net of legal fees, as a result of the lawyer's participation.'
あるビジネスローヤーが付加価値を生んでいると言えるためには、そのビジネスローヤーが介在した結果、当該取引の経済的付加価値が、弁護士費用の額よりも大きく増加していなければならない。
では、どのような場合に弁護士は報酬を上回るだけの経済的付加価値を生むことができるのでしょうか?まず、取引を行う上で全く何の支障も無い理想的な世界では、当事者同士の交渉のみを通じて、パレート効率的な状態に達することができるため、弁護士が介在することでパイを拡大できる余地はありません。(参考:コースの定理)このような理想的な世界では、弁護士が「寄生虫」に過ぎないという上記のシニカルな見方もある種妥当なものだと言えるでしょう。
しかし、現実の取引には、常に何らかの取引コスト (transaction cost) が伴います。例えば、ある資産を売買するというシンプルな取引を挙げてみても、当事者が適切な取引相手を探すために必要な時間(探索コスト)、当事者が納得のいく契約内容を決めるための価値評価や交渉(交渉コスト)、資産と代金の交換がきちんと契約内容通りに実現されるかどうか確保するための監視や裁判費用(執行コスト)といった、様々な取引コストが発生してしまいます。その結果、当事者への配分のもとになるパイは、取引コストの分だけ減少してしまいます。
では、仮に弁護士の介在が取引コストを大きく削減出来るとすればどうなるでしょうか?弁護士は、経済的取引を代理する際に、自己の法的知識を用いて、当事者の利害を一致させたり、将来起こりうる様々なリスクに適切に対処出来たり、履行や執行が容易であるような契約を設計・締結することが出来ます。このような契約は、上述の様々な取引コストを削減するものであり、もしその削減量が弁護士の報酬を上回るのであれば、弁護士の介在によって当事者に帰属するパイは拡大し、社会に対して付加価値を生み出していることとなります。ここから、Gilsonは法律家の存在意義を次のように定式化しました。
'My hypothesis about what business lawyers really do - their potential to create value - is simply this: Lawyers function as transaction cost engineers, devising efficient mechanisms which bridge the gap between capital asset pricing theory's hypothetical world of perfect markets and the less-than-perfect reality of effecting transactions in this world.'
ビジネスローヤーが「真に」何をしているのか、つまり付加価値を生みうる彼らの潜在能力とは何であるか、についての私の仮説とは、簡単に言えば次のようなものである。すなわち、資産価格決定理論が前提とするような完全市場を仮定した世界(注:取引費用が存在しない世界のこと)と、実際の取引が行われる不完全な現実世界との間のギャップを埋めて効率性を達成するメカニズムを考案する、「取引コストのエンジニア」としての役割を、法律家は果たしている(果たすべきである)のだ。
つまり、ビジネスローヤーは経済的取引に介在し、自己の受け取る報酬額よりも多く取引コストを削減することで、当事者が受け取るパイを拡大することができ、そのような場合にこそ社会に付加価値をもたらすことが出来るわけです。逆に言えば、ここからビジネスローヤーが社会に対し付加価値をもたらしたいならば、常に自分のなしている「取引コストの削減」とは何かを意識しなければならないという行動原理まで導かれることになります。
では、その「取引コストエンジニア」が用いる「工具」とは一体どのようなものなのでしょうか?その具体的な説明は、次回以降の投稿に回そうと思います。
(注)なお、 Gilsonは同論文の中盤以降で、ファイナンス理論における資産価格決定理論 (CAPM)を紹介した上で、M&A契約におけるアーンアウト条項や表明保証などを題材に、具体的な取引コスト削減の例を挙げています。また、「取引コストエンジニア」の役割において、弁護士が投資銀行や会計士といった他のプロフェッショナルとどのように競合しているかについての観察や、このような弁護士の在り方についての教育を十分にしていない米国ロースクール教育に対する批判も展開しています。
3.まとめ
いささか抽象的な内容でしたが如何でしょうか。このようなGilsonの洞察や主張は、一つのコロンブスの卵として、今なお強い説得力を持った主張だといえるのではないでしょうか。少なくとも、私はこれまで上記論点に対するこれほどクリアな応答に出会ったことが無かったため、30年以上前に発表された論文でありながら、読んだ際に非常に新鮮さを感じました。
他方、本論文ではあくまで「経済的取引にかかわるビジネスローヤー」の付加価値の創造についてしか論じていません。例えば、ビジネスローヤーの中でも訴訟を代理する弁護士や、法規制の創設・対応に従事する弁護士がどのように付加価値を創造しているかについては、別途詳細な検討が必要であるように感じます。またそもそも、弁護士のような職業に対して、このような経済的視点のみに基づいてその付加価値を評価することに、一体どれほどの妥当性があるかも、強く吟味されるべきでしょう。我が国の弁護士法は、弁護士の使命として「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」を掲げています。このような使命を踏まえた弁護士の実質的な付加価値の創造の在り方については、少なくともGilsonの論旨だけから明らかにすることはできないはずです。
(注)なお、既にLaw & Economicsの分野からは、法制度の設計において公平性と経済学的効率性をどのように考慮に入れるべきかについて、一定の結論が提出されています。
いずれにせよ、私もこのコースでの学びを通じて、現実の経済活動に対して、一貫した軸に基づき鋭い洞察を加え、社会に付加価値をもたらすような人間になりたいものですね。
今後も、このようなLaw & Economicsの題材以外にも、情報法、Legal TechなどについてのOxfordでの学びや、出願までの具体的な過程や工夫などについて定期的に発信していければと考えています!本記事を面白いと思っていただいた方には、是非コメントや「スキ」、フォローなどの形で反応を頂けると嬉しいです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
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