たかまつなな氏の「老人ヘイト」を煽る動画に対して、経済財政の観点から真っ向反論する~社会保障政策は高齢者か若者かの二者択一ではない~
高齢者に若者への煽り言葉を言わせる、たかまつなな氏の動画ツイートが炎上している。この動画は若者に対して老人へのヘイトを煽って、高齢者の好きなように政治を運営させないためにも、若者は統一地方選挙に行って意志を示そうというものである。
この動画に対しては、私自身は強烈な嫌悪感を覚えた。成田悠輔氏の「高齢者は集団自決すべき」発言もそうだが、昨今のテレビに出演するような若手論者による「老人ヘイト」は異常であると、ハッキリと警鐘を鳴らしておきたい。背後に何か仕組まれたものであることすら感じる。
こうした若手論者が「老人ヘイト」を繰り返すことには、以下のような背景があるのだろう。
現在の日本は高齢者に向けた政府支出ばかりを行っていて、高齢者は恵まれている。対して、私たち若者や子育て世代は政府支出の恩恵に預かることが出来ず、苦しい生活を強いられている。だから、高齢者に振り向けられている政府支出を削減して、将来ある若者や子育て世代に対して、もっと政府支出を行うべきである。
こうした論調は一見、もっともらしく聞こえるので、若者や子育て世代の共感を買いやすい。そして、たかまつなな氏の動画や、成田悠輔氏の高齢者の集団自決に対しても、多少過激な言い方であるにしろ、言いたいことはもっともだと共感されるのである。
しかし、こうした論調は経済財政的に見れば、大間違いであるとハッキリ断言できる。
何故ならば、政府支出は高齢者への社会保障か、若者や子育てへの生活の安定かの二者択一ではないからである。これと似た現象は過去にもあり、それは14年前の民主党政権交代時に起きた「コンクリートから人へ」である。これも建設業者に振り向けている政府支出を、もっと国民1人1人に与えるべきだという発想だ。
こうした発想は、いわゆる「税は財源」論に基づく、「財源は有限である」という考え方であるが、これが根本的な誤りなのである。毎週、ツイッター上でハッシュタグデモが行われている通り、 #税は財源ではない のである。この考え方こそが、正しい事実なのである。
そこで「税は財源だろ!」と思ってしまった人は、国には通貨発行権があることを忘れてしまっているのである。国には通貨発行権があり、新たにお金を刷って、政府支出がなされているのである。
より厳密に言えば、政府支出によって、新たな銀行預金が創造されている。だから、税金から政府支出を行うのではなく、政府支出によって新たにお金が誕生して、そこから国民が銀行預金などを税金として納めるというのが正しい順序なのである。
そもそも、私たちが納めた税金はどこからやって来たのだろうか。
多くの人達は、働いている企業から給料としてお金を貰って、そのお金を納めたと言うだろう。そして、その給料の源泉は企業の収益からであり、企業の収益は企業間取引や消費者からの販売売上によって得られたという企業も多いだろうが、中には政府からの公共事業などの受注によって得たという会社も存在するのである。このようにお金の源泉を辿っていけば、最初の起源は政府支出に行き着くのである。
以上のように、財源とは限りがあるものではなく、政府支出によって新たに生み出すことが出来るものなのである。だから、高齢者か若者かの二者択一にはならずに、高齢者にも若者にも手厚く支出することは、全く持って可能なのである。
ただ、余りにも手厚く政府支出してしまうと、インフレ率が上昇し過ぎてしまうので、そこには限度があると言えるし、政府支出の増加はインフレ率の上昇とトレードオフの関係にあると言える。
また税は財源ではないと先ほど述べたが、この文脈で言うと、税はインフレを抑制するために、国民が持っているお金を間引くというのが真の目的なのである。合わせて、お金持ちと貧困層の格差を是正するためにも取るものなのだ。
加えて、たかまつなな氏の炎上動画には、高齢者の男性が、
「日本の借金が増えているって?でも、どーせ返すのは未来の子供たちだろう?」
との台本を読んでいるシーンがあるが、この台本の文章も財政的には誤りである。
まず、動画内で日本の借金が増えていると言うが、増えているのは日本に限らず、世界中どこの国でも増えている。むしろ、日本はG7諸国の中では、ドイツに次ぐ増加率の低さとなっている。イギリスやアメリカの方が、日本よりもずっと借金の増加率は高い。
このように諸外国と比較すれば、日本の借金はそう増えているわけではないのである。たかまつなな氏は、日本以外の諸外国の借金については何も知らないであろうから、こうしたミスリードを招くような台本を渡して、高齢者の役者に読ませてしまうのである。
また、後半部分の「返すのは未来の子供たち」というのもおかしい。
何故ならば、未来の子供たちも、決して返さないからである。先ほどのグラフで示した通り、世界中の国々で過去から現在にかけて国の借金は増え続けているのである。
例えば、私は1980年代から1990年代にかけて子供だったが、40歳手前の中年男性となった2020年代の現在でも、私たちは決して借金を返済していないのである。こうしたことは2020年代現在の子供にも言えることで、彼らが大人になる2040年代、2050年代になっても決して借金は返済しないままである。
返済しないと言うと、少し語弊があるので、より厳密に言えば、政府の負債である国の借金(国債)は満期で償還を迎えたら、新たな国債に借り換えて、その借り換えを未来永劫続けるだけなのである。
だから、国の借金額は減ることはなく、増え続けることが必然なのだ。
もっと言うと、国債を発行して政府支出を行うことによって、新たなお金が生まれるのだから、国の借金として忌み嫌われている国債が、実は通貨発行の役割を果たしていることにもなる。
つまりは、国の借金が増えれば増えるほど、世の中のお金の総量は増え、
私たち国民の銀行預金も増えて、より豊かになって行くのだ。
逆に、国の借金を返すとは、私たちの銀行預金額を減らす行為であるから、国の借金を返すほど実は貧しくなって行ってしまうのである。
なので、国の借金(国債)とは、実は世の中のお金(銀行預金)の総量を調整する役割を担っているのである。
以上が財政的な面から見た、たかまつなな氏の動画の間違いの部分である。
このように、人々が通貨発行権という当たり前の事実を忘れて、財源には限りがあるという発想になってしまうから、たかまつなな氏の今回の炎上動画であったり、成田悠輔氏の高齢者の集団自決発言といった帰結が導かれてしまうのである。
私たちは、そうしたある種の”デキレース”は、間違えているぞと強く反発して、国には通貨発行権があることを広く浸透させて国民に気付かせて行く必要性があるのだ。そうすれば、賢明になった私たち国民は、彼らが仕掛ける「分断工作」には嵌まらずに済むのである。
彼らの「老人ヘイトスピーチ」に煽られるのではなく、高齢者も若者も中高年も、全国民が豊かに暮らせる社会を、通貨発行権を行使した積極的な政府支出によって、実現すべきなのである。二者択一の分断社会から、全選択の協調社会へ、世の中を変えていかなければならないと私は思う次第である。