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修士論文のコツ:完璧を求めない

今回は修士論文を書く上での心構えのお話。これから修士論文も佳境を迎える人も多くなってくるかと思いますので、少しでも心のゆとりを取り戻すのに役に立てれば。

卒論と修論の違い

修士論文は、卒業論文と異なり「初めて学術的な作法に基づき論文を完成させる」経験になると思います。よく僕が指導教員から言われていたのは卒業論文は草野球、修士論文は社会人野球、博士論文はプロ野球という比喩です。草野球では野球としての基本的ルールはプロ野球と同じですが、時には、細かいルールは無視することもあります。卒業論文もいわば草野球。論文としての基本的体裁を整えてはいますが、半分レポートのようなもので、学術誌に投稿できるほどのレベルには至っていない場合が多いと思います。

このような卒業論文に対し、修士論文では学術論文としての内容と完成度が求められます。学術的・実践的課題に即した研究目的を立て、妥当性・信頼性の高い方法により調査や測定を行い、先行研究や理論に照らして考察を行い、学術的に新しい知見を結論として導き出す...。そんな作業が修士論文では求められます。

卒業論文では「自分が興味あることを調べました。」「実験をしてレポートをまとめました。」で済むところを修士論文では、学術研究としての体裁、方法をとって論文としてまとめなければなりません。ここが卒業論文と修士論文の最大の違いで、多くの修論生が頭を抱える部分かと思います。


修士論文を書く上での苦悩

これまで示した通り、修論は初めて学術研究としての論文の完成に取り組んでいくことになります。この時、修論生を悩ませるのは初めての経験ゆえに、自分の研究をどこまで完成度を高めればいいのか、どこまで突き詰めればいいのかという問題です。特に、大学院に進むという選択をする人は真面目な人が多いかと思いますので、修士論文で求められる高い学術性に応えようと突き詰めていくと、完璧を目指して沼にはまることも多々あります(僕は修士一年の時に沼にはまりました)。

完璧を目指そうとしていくと、先行研究はどこまで読んで良いかわからないし、問題の背景を記述しようとするとどこまで背景をさかのぼればいいのかわからなくなってしまいます。研究方法はどこまで精緻にやればいいのか、どのレベルまでは妥協しても許されるのか。そういった一つ一つの判断を突き詰めていくと、はじめての経験ゆえにわけがわからなくなってしまうのです。

その結果、”完璧”を求めようとしてゼミ発表ができない、“まだ不完全だから”先生に相談できないという状態になります。また、いつまでたっても完璧にできない自身の無力さや無能さに嫌気がさし、研究が嫌になる人もいるかもしれません。

僕の友人にも、このような苦悩をだれにも相談できず心身ともに疲弊し大学院を辞めた人もいますし、心を病んで休学した人もいました。それはその人が無能だからではなく、まじめに研究に真摯に向き合っていたからだと思います。


僕が救われた指導教員の言葉:「完璧を求めるな」

僕自身、修士論文を書いたのは5年ほど前になりますが、指導教員から言われて一番心が救われた言葉が「完璧を求めるな」という言葉でした。修論を書いていた時、僕も修論の沼にはまり、自分の無能さに嫌気がさして若干引きこもりがちになっていたことがありました。

その時に言われたのが「完璧を求めるな」という言葉でした。研究すればするほど自分の知らないことがたくさん出てきます。しかし、上に示した通り修士論文は初めての学術論文の作成です。初めてやる本格的な研究で、たかが1年や2年研究したくらいの院生が”完璧”な研究成果やゼミ発表資料を出せるわけがないのです。そもそも、修士の院生が完璧を求めること自体が間違いだったのです。そんな自分の誤りを正してくれたのが先生の言葉だったと思います。

指導教員から言われたのは、修士で最も大切なことは「研究方法をマスターすること」であり、研究成果の良し悪しは気にするなということでした。大切なのはその後の研究者としてのキャリアで必須となる研究方法をきちんと理解し、いい研究成果やアイデア・着想を出すための準備をすることなのだと。

繰り返しになりますが数年研究をかじったくらいの学生が良い研究成果や発表資料を出せるわけがないのです。出した資料をボロカスにされることは当たり前なのです。だって先生は20年や30年の研究キャリアがあるわけですから。出した資料を叩かれてゲンナリする気持ちもよくわかりますが、それは当たり前だと割り切ることも大切だと思います。


ゼミ発表への心構え

もちろん完璧を求め研究に勤しむことは非常に大切なことです。しかし、それに捕らわれてはいけません。「これくらいでいいや」「ボロカスにされて当たり前」「コメントをもらってみよう」という気持ちで研究に取り組み、発表の場に臨むことが大切だと思います。

コメントをくれる先生も先輩も、あなたのことが嫌いでボロカスにしているわけではありません。研究を面白いと思っているからこそコメントをくれるわけです。また、コメントされた点をクリアすればまたあなたの研究は完璧に一歩近づくことができるのです。

しかし、完璧を求めゼミ発表や先生への相談をしなければ、いつまでたっても沼にはまったままで研究は進んでいきません。経験上、発表した分だけ研究は進んでいきます。発表・報告をすればボロカスにされる未来が見えている中でそれを行うのはつらいわけですが、それを乗り越えた先には昨日よりも少し成長した自分が待っているはずです。


今日はこのあたりで。


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